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中後雅喜の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第477回】

正確な長短のパスでゲームを組み立てるコンダクター、中後雅喜。

右足から繰り出されるキックは正確で、特にサイドチェンジやプレースキックは高い精度を誇った。

駒澤大学時代は大学屈指のボランチとしてユニバーシアード日本代表としても活躍。

卒業後に入団した鹿島では2007年からの鹿島の2連覇に貢献した。

中後雅喜のJリーグ入り前


中後は1982年に千葉県千葉市に生まれた。

小学校入学後にサッカーを始め、 あやめ台FCに入団する。

中学校入学後、ジェフユナイテッド市原ジュニアユースに入団。

高校進学後はユースへ昇格。
同期に太洋一、高木貴弘がいる。

ユース時代は、日本クラブユース選手権で準優勝、Jユースカップで準優勝を果たす。

高校卒業後はトップ昇格は果たせず、駒澤大学へ進学。
同学年に関光博(ロアッソ熊本)、鈴木祐輔(ロアッソ熊本)、太洋一(ロアッソ熊本)、小林亮(柏レイソル)。
1学年上に那須大亮(横浜F・マリノス)、中田洋介(ベガルタ仙台)、橋本早十(大宮アルディージャ)、1学年下に赤嶺真吾(FC東京)らがいる。

大学時代はボランチとして早々にレギュラーとして活躍。
関東大学1部リーグ、全日本大学サッカー選手権大会、総理大臣杯で優勝を果たすなど数々のタイトル獲得に貢献。
また全日本大学選抜に選出され、ユニバーシアード大邱大会に出場。
岩政大樹田代有三兵働昭弘中田洋介らとともに活躍し優勝に貢献した。

中後雅喜は同年の大学サッカー屈指のボランチとして鹿島アントラーズへ入団する。
同期入団に田代有三(福岡大)、興梠慎三(鵬翔高)、山本拓弥(ユースから昇格)、吉沢佑哉(ユースから昇格)、後藤圭太(ユースから昇格)がいる。

中後雅喜のJリーグ入り後

入団1年目の2005年は出場機会はなかったが、2年目の2006年5月7日第12節浦和レッドダイヤモンズ戦でJリーグデビューを果たす。
同年は8月に小笠原満男がイタリアのメッシーナへ移籍したため、出場機会が増える。
中盤のダイヤモンドの底でプレーし、攻守の要として活躍。リーグ戦17試合に出場した。
またナビスコカップでも6試合に出場し、準優勝に貢献。

2007年も開幕戦からレギュラーとして活躍。
リーグ戦28試合にに出場し、リーグ戦優勝と天皇杯制覇に貢献した。

2008年は途中出場が多くなるも、青木剛とともにボランチとしてチームを支え、鹿島の連覇に貢献した。

2009年はユース時代を過ごしたジェフ千葉へ移籍。
実に9年ぶりの“古巣復帰”となった。
ジェフでも得意のフィードやプレースキックで存在感を発揮するもチームは攻守の歯車が嚙み合わなかった。リーグ戦で僅か5勝しか挙げられず、ジェフはクラブ史上初となるJ2降格を味わうことになった。

2010年もジェフに残留するが出場機会が激減し、2011年にはJ1セレッソ大阪へ移籍。

セレッソではマルチネスや扇原貴宏とともにボランチとして活躍。
コンスタントに出場機会を得てリーグ戦24試合に出場した。

2012年はJ2東京ヴェルディへ移籍。
加入当初は負傷もあり出場機会が少なかったがゲームをコントロールできる貴重なベテランとして重宝される。
2015年は冨樫剛一のもとでシーズンを通して起用され、リーグ戦40試合に出場し4ゴールを決めた。

2017年はガンバから移籍してきた内田達也の活躍や、渡辺皓太や井上潮音といった生え抜きの若手が頭角を現したこともあり出場機会が減少。
リーグ戦13試合の出場に留まり、この年限りで引退。
13年間の現役生活に終止符を打った。

中後雅喜の引退後と現在

中後は引退後、2018年より東京ヴェルディのアカデミーコーチに就任。

その後ユース監督を経て、現在はヴェルディジュアユースのコーチを務めている。

2023年にはS級ライセンスの取得を予定している。
2023年のS級コーチ養成講習会の受講者には内田篤人、大黒将志、北嶋秀朗小野智吉佐藤由紀彦、中村憲剛、平川忠亮、明神智和らが名を連ねる。

Jリーグでも屈指の育成能力を持つ東京ヴェルディ。
中後が指導した教え子は藤田譲瑠チマ(横浜Fマリノス)、山本理仁(ガンバ大阪)、馬場晴也(コンサドーレ札幌)などヴェルディを離れ、J1で戦う選手も多い。

ユース監督として着実に実績を積んでいる中後雅喜の今後に期待したい。

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