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青木剛の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【299回】

強靭な肉体と豊富な運動量を誇る守備のユーティリティ、青木剛。

試合終盤も疲れを知らない献身的な青木のハードワークは鹿島アントラーズに必要不可欠な存在となり2007年からのJリーグ3連覇に大きく貢献した。2008年から2009年にかけて日本代表に選出。

キックも非常に正確であり、糸を引くような絶妙なサイドチェンジや中長距離のダイナミックなフィードで攻撃の起点にもなった。

ボランチだけでなくセンターバックやサイドバックでも高いレベルでプレーが出来る希代な存在の為、歴代の監督から重宝され続けた。

青木剛のJリーグ入り前


青木は1982年に群馬県高崎市に生まれた。8才のときに地元の高崎FC中川でサッカーを始める。中学校入学後。前橋ジュニアFCに所属。

高校は前橋育英に進学。U18日本代表にも選ばれた2年時にDFとして全国高校サッカー選手権に出場。背番号7を背負いセンターバックでプレーした。

山陽、初芝橋本、静岡学園を下し準決勝まで進むも市立船橋にPK戦の末に敗れベスト4となった。

3年時には主将を任されチームを牽引。また、特別指定選手として浦和レッズの練習に参加している。

青木は高校屈指の逸材として数多くのクラブからオファーを受けるが鹿島アントラーズに入団。

入団会見では「ロングキック、ボランチからの展開、守備のポジショニングの良さを見てもらいたい」とコメントしている。

青木剛のJリーグ入り後

鹿島入団直後のゼロックススーパー杯では、後半交代でピッチに入ると攻守共に活躍。特に3列目からの正確なロングフィードを見せつけ鮮烈なデビューを飾った。

3月17日1sステージ第2節東京ヴェルディ1969戦でJリーグ初出場を果たすとこの年はリーグ戦8試合に出場。

2003年、中田浩二の怪我の影響もあり着実に出場を重ねる。2005年は名良橋晃の怪我により右サイドバックのポジションを勝ち取る。2007年からの鹿島アントラーズJリーグ3連覇にレギュラーとして貢献した。

2008年、日本代表候補トレーニングメンバーに初選出・8月20日のキリンチャレンジカップのウルグアイ戦の日本代表に初選出された。

2009年1月20日のアジア杯最終予選・イエメン戦では公式試合初出場となり、この試合は2-1と勝利を収め、チームに貢献した。

2011年途中からは中田浩二の怪我や伊野波雅彦の海外移籍によりセンターバックとしての出場が増える。2014年は不運なオウンゴールや2度の退場を味わうなど不本意なシーズンとなった。

2016年はリーグ戦の出場が1試合に留まりシーズン途中に15年半過ごした鹿島を離れる決意をする。

2016年7月、サガン鳥栖へ完全移籍。

鳥栖では守備のスペシャリストとしてボランチやセンターバックで起用されるが1年半の在籍でリーグ戦24試合出場に留まる。2017年シーズン最終節の札幌戦でJ1リーグ通算400試合出場を達成。

2018年、出場機会を求めロアッソ熊本へ完全移籍。

しかし本来のポジションでの起用は少なく、不慣れな3バックの両脇でのプレーが続いた。
青木は徐々に出場機会を失い、熊本もJ3に降格。

年齢からくる衰えを実感した青木は、2018年シーズンをもって1年あった熊本との契約を解除し退団する。

青木剛の現在

青木は熊本退団後、鹿島時代の先輩である岩政大樹から誘われ東京都社会人リーグ1部の南葛SCへ加入した。

南葛SCは将来のJリーグ入りを目標に活動しているチーム中で今最も勢いのあるチームのひとつだ。福西崇史を監督に、選手には青木の他にGK小針清允、MF安田晃大、柴村直弥、佐々木竜太など元Jリーガーが多く在籍する。ほとんどの選手が仕事とサッカーを両立させながらクラブの発展の為に汗を流した。

また、青木は2019年5月にインソール専門店「アシスタート」をオープンさせ実業家としても新たなスタートを切っている。

日中は自分の店で働き、閉店後に往復2時間かけて南葛SCの練習場に向かう毎日を送っている。

鉄人はまだまだ走り続ける。

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