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真田雅則の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第144回】

身長178センチとGKとしては小柄ながら、それを感じさせないほど身体全身がバネのようなしなやかな筋肉を使い、長きにわたってエスパルスのゴールマウスを守った真田雅則。

安定したキャッチングと怪我を顧みずに果敢に前に出て身体を張るストロングスタイルで、清水エスパルスの堅守を支え、当時のJリーグ記録となる145試合連続フルタイム出場を成し遂げた。

1999年には清水エスパルスの2ndステージ優勝に貢献し、Jリーグベストイレブンに選出。

幾多の怪我や病気と闘いながらも決して弱音を吐かずに前を向いて戦う真田雅則をサポーターはこう呼んだ。

背番号1、勇気の守護神。真田雅則と。

真田雅則のプロ入り前


真田雅則は1968年に静岡県清水市に生まれた。

小学校2年の時にサッカーを始める。

最初はフィールドプレーヤーだったが、チームをのGKが離脱したことから監督からコンバートされ、以降GKとしてプレーする事になる。

4年生の時に清水市の選抜チームである清水FCに加入し全国大会で準優勝を飾るなど若い時から全国を経験した。

清水第七中学校卒業後、清水商業高校に進学。

同級生に元ジェフ市原の江尻篤彦がいる。

高校3年時に静岡県代表として全国高校サッカー選手権に出場し全国制覇を達成した。真田はユース代表に選出された。

高校卒業後、真田は順天堂大学へ進学。

順天堂大学の2学年上に堀池巧、1学年上に石井正忠、同級生に阪倉裕二、1学年下に大嶽直人、2学年下には森山泰行小村徳男がいた。

順天堂大学時代には全日本大学選手権や総理大臣杯などのタイトル獲得に貢献。ユニバーシアード日本代表にも選出。

また1989年から1990年にかけて日本代表にも選出され、国際Cマッチ5試合に出場している。

大学卒業後の1990年に日本サッカーリーグの全日空に入団。

入団1年目からレギュラーの座を掴み20試合に出場するも全日空は入団1年目は7位、2年目は8位に終わった。

1992年に地元である清水市(静岡市清水区)に新規発足したJリーグクラブの清水エスパルスに移籍した。

真田雅則のプロ入り後

1993年5月16日に開催された横浜フリューゲルスとの開幕戦で先発出場を果たす。

記念すべき開幕試合は奇しくも昨年まで在籍していたチームとの対戦となった。

この試合で真田はコーナーキックになりかけたボールを逃れようと飛び出したが、ミスキックをしてしまい相手選手に拾われてゴールを献上してしまうという失態を犯してしまう。

各メディアは挙って真田のミスを取り上げたが、真田本人は飛び出し自体は悪くなかった、その後のキックの精度と、GKが飛び出した時にサイドバック、ストッパーがカバーリングに来ていなかった事が失点の原因であると冷静に受け止め早々に気持ちを切り替え、第2節では安定した守備を見せた。

しかしその後、エスパルスはブラジル人GKのシジマールを獲得する。

エスパルスのレオン監督は元ブラジル代表のGKという事もあり、母国語でコミュニケーションも取れてブラジルでも実績のあるシジマールを守護神に抜擢する。

シジマールはJリーグ記録となる6試合連続無失点記録を打ち立てるなど活躍し、エスパルスの成績も向上。真田はサブへと追いやられた。

しかし真田はシジマールにポジションを奪われた悔しさがありつつも、素直にシジマールの実力を認め日頃の練習からシジマールの長所や基本に忠実なプレーを積極的に学んでいった。

1995年にシジマールが退団した後は正GKに返り咲く。

1996年にはナビスコ杯でヴェルディ川崎をPK戦の末に下し、エスパルスに初のタイトルをもたらせた。

PK戦の際に国立競技場のゴール裏に陣取るエスパルスサポーターに向けて両手の拳を空に突き上げた姿は語り草となった。

1999年には2ndステージ優勝に貢献しベストイレブンに選出。

その後も先発フル出場を続け、2000年には当時のJリーグ記録となる145試合連続フルタイム出場を達成した。

2001年頃から黒河貴矢や西部洋平ら若手GKの台頭もあり徐々に出番を失っていく。

2004年シーズン限りで現役を引退。

同年の最終節に途中出場予定だったが、試合に先制するも1-3と逆転された為、最後の交代枠にはFW北嶋秀朗が出場した為、結局出場することはなかった。

真田雅則の引退後

真田雅則は引退後、2005年から2年間エスパルスユースのGKコーチを務め、2008年から2010年までジェフユナイテッド千葉のGKコーチを務めた。

2011年に清水エスパルスのGKコーチとなるも、9月2日に体調不良の為に休業する事が発表され、その4日後に急性心不全で43歳という若さで亡くなった。

真田雅則は現役時代、高熱を伴う風邪、剥離骨折、捻挫をしていてもピッチに立っていたと後年のインタビューで語っている。

監督やコーチには本当のことは言うが、チームメイトには弱音を吐かず怪我や病気のことは話さなかったと言う。

その理由として最後の砦を守る自分がそんな状態であると知ればフィールドの選手達は不安に感じ試合に集中する事ができないと思うからというものだった。

いかにも真面目な性格でチームの為に戦い続けた真田らしい理由だと思う。

清水エスパルスでリーグ戦243試合のゴールマウスを守り続けた男、真田雅則。

勇気の守護神は永遠にエスパルスサポーターの心に残り続ける。

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