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武井択也の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第449回】

中盤の底で高い戦術理解度と豊富な運動量を武器に活躍したMF武井択也。

本職はボランチながら、サイドバックからトップ下まで複数のポジションをこなせるマルチロールとしても知られる。

明るい人柄で知られ、チームのムードメーカーとしても貴重な役割を果たした。

武井択也のJリーグ入り前


武井は1986年に栃木県栃木市に生まれた。

幼いころに宮城県に転居し6歳の時にサッカーを始めた。

その後、栃木県に戻り、栃木ジュニオールに所属。

栃木市立東陽中学校サッカー部で活躍後、國學院栃木高校へ進学した。

高校時代は全国大会への出場はなく無名の存在だったが、強豪である流通経済大学へ進学。
同学年に飯田真輝(東京ヴェルディ)、清水慶記(大宮アルディージャ)、鎌田次郎(柏レイソル)らがいる。

選手層の厚い流通経済大学においてレギュラーを掴めず、大学2年まで7軍に所属していた。
それまでは攻撃的な選手だったが、守備の意識が目覚めるとボランチとして覚醒。

大学3年次にはレギュラーとして活躍し、全日本大学選抜に選出。

大学4年次にはユニバーシアード日本代表に選出され、林彰洋、長友佑都、兵藤慎剛、東口順昭、渡邉千真らとともにバンコク大会に出場した。

大学4年次に複数のJクラブの練習に参加。テスト生としてガンバ大阪の練習に参加したところ、西野朗監督の目に留まり、入団が決定する。

武井択也のJリーグ入り後

入団1年目の2008年8月23日第22節ヴィッセル神戸戦で、後半42分に遠藤保仁と交代でJリーグ初出場を果たす。
リーグ戦では遠藤保仁、明神智和という日本を代表するボランチがいたため出場機会は少なく、3試合の出場に留まったが、ACLでは守備固めとして起用され、ガンバ大阪のアジア制覇に貢献した。

2010年からは先発出場が増え、リーグ戦21試合に出場。
最終節の清水エスパルス戦では前半アディショナルタイムに嬉しいJリーグ初ゴールをマークした。

2011年は開幕からチャンスを得ると、シーズンを通してレギュラーとして活躍。
ボランチだけでなく、サイドハーフやセントラルハーフなど複数のポジションを担った。

2012年は、セレッソ大阪ら加入した倉田秋や、蔚山現代から復帰した家長昭博の活躍もあり、出場機会は減少したが、途中出場から落ち着いた守備で貢献しクローザーとしての役割を果たした。
だが、チーム状況は上向くことはなく、ガンバは初のJ2降格となった。

2013年は長谷川健太が監督に就任し、1年でのJ1復帰が絶対的な目標となったシーズンだったが、出場機会は少なくリーグ戦7試合の出場に留まると、この年をもってガンバを退団した。

2014年はベガルタ仙台へ移籍。
経験豊富な中盤のバランサーとして期待されたが、負傷もあり出場機会は少なく、2年間の在籍でリーグ戦18試合の出場に留まった。

2016年にはJ2松本山雅へ移籍。
途中出場が多いながらもリーグ戦25試合に出場。
昇格をかけたファジアーノ岡山とのプレーオフ準決勝では終了間際に投入されるも、1-2で敗戦し昇格を逃した。

2017年も途中出場が多く、中盤の底でバランサーとしての役割を担ったが、リーグ戦13試合の出場に留まるとこの年で引退。
10年間のプロ生活に終止符を打った。

武井択也の引退後と現在

武井は引退後、プロサッカー選手のエージェント・コンサルティングを営む株式会社イマージェントに就職し、仲介人として活躍。

その他にも、栃木サッカーアカデミーの代表や栃木市ふるさと大使として活動するなど多方面で活躍している。

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