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金沢浄の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第448回】

黄金期のジュビロ磐田を支えた左アウトサイドのスペシャリスト金沢浄。

優れたユーティリティ性があり、DFからFWまで数多くのポジションをハイレベルでこなす能力を持つ。

ジュビロでは数多くのタイトルを獲得し、FC東京では移籍初年度にリーグ戦全試合出場を果たすと翌年にはヤマザキナビスコカップ優勝に貢献した。

金沢浄のJリーグ入り前


金沢は1976年に埼玉県入間市に生まれた。

兄の影響でサッカーを始め、入間市立仏子小学校入学後に「仏子ブラックスサッカースポーツ少年団」に入団する。
6年生の時に初めての全国大会を経験する。

入間市立西武中学校入学後、サッカー部に所属。
中学時代にも全国大会に出場した。

卒業後は強豪の武南高等学校へ進んだ。
2学年上に室井市衛(鹿島アントラーズ)、浅利悟(FC東京)、同学年に宮沢克行(浦和レッズ)、北慎(FC東京)、2学年下に滝澤邦彦(名古屋グランパス)、寶示戸進哉(ジュビロ磐田)がいる。

高校1年次からベンチ入りメンバーに選出され、得意のドリブルを武器に活躍。
選手権ではベスト4入りを果たした。

高校2年次は埼玉県予選の準決勝、決勝と立て続けにゴールを決め、2年連続での選手権出場に貢献。しかし本大会では3回戦で鹿児島実業に0-1で敗れている。
この年はインターハイ、全日本ユースにも出場した。

高校3年次には埼玉県予選で大森征之(サンフレッチェ広島)らのいる大宮東に1-2で敗れ、3年連続での本大会出場は叶わなかった。

高校卒業後、国士舘大学へ進学。
同学年に熱田眞(京都パープルサンガ)、富永英明(名古屋グランパス)、鏑木享(FC東京)、1学年上に伊藤卓(名古屋グランパス)、1学年下に佐伯直哉(ジュビロ磐田)らがいる。

大学でも左サイドを担い、1年次からレギュラーとして活躍。大学4年次はキャプテンに就任した。
大学時代は関東大学リーグを3度、全日本大学選手権を2度制覇した。

また、大学3年次にはユニバーシアード日本代表に選出。
盛田剛平、箕輪義信寺田周平川口信男和多田充寿米山篤志らとともにシチリア大会に出場。
金沢はキャプテンとしてチームを牽引するも、最終順位は9位に留まった。

大学卒業後、ジュビロ磐田へ入団する。同期入団に箕輪義信、西紀寛がいる。

金沢浄のJリーグ入り後

1999年3月13日1stステージ第2節サンフレッチェ広島戦で早くもベンチ入りをすると、第4節ベルマーレ平塚戦で山西尊裕と交代でJリーグ初出場を果たした。
同年は主に左ハーフや左ウイングとして出場しリーグ戦12試合に出場した。
この年、ジュビロ磐田年間優勝を果たした。

金沢が在籍した頃のジュビロ磐田はまさに黄金期を迎えており、選手層の厚さはリーグでもトップレベルだった。
金沢はユーティリティ性を発揮し、DFからFWまでこなしたが、本職の左には山西尊裕服部年宏というスペシャリストがおり、出場機会は限られた。

2001年の年間王者を決める鹿島アントラーズとの試合には2戦ともフル出場を果たしたが、惜しくも敗れている。

2002年はは1stステージ、2ndステージ共に優勝を果たす。
金沢はリーグ戦22試合に出場し優勝に貢献した。

2003年、左サイドのスペシャリストとして高い評価を受けていたFC東京へ移籍。
原博美監督により、左サイドバックに定着すると加入初年度はリーグ戦全試合に出場。
高いユーティリティ性を発揮し、プレーメーカー的な役割を担った。

2005年頃から度重なる負傷に悩まされるが、出場した試合では安定したプレーを見せた。

2006年にはアキレス腱断裂という大怪我を負い、リハビリのために長期欠場を余儀なくされた。

2007年には完全復活を果たし、リーグ戦29試合に出場。

2008年には新入団の長友佑都の台頭により出場機会が減少。ボランチを務めることもあった。

2009年8月に出場機会を求めてジュビロ磐田へ復帰。
黄金期を知るベテランの復帰は大いに歓迎された。

復帰したジュビロでは貴重な左利きのアウトサイドとして存在感を発揮。
出場機会は少なかったが、ミスの少ないプレーで攻撃の起点となる活躍を見せた。

2014年には37歳という年齢でJ2のザスパクサツ群馬へ移籍。
群馬ではキャプテンを務め、チームを支えた。
膝の故障もあり、出場試合は少なかったが、経験豊富なベテランの加入は確実にチームに落ち着きをもたらせた。

草津退団後、引退を表明したが、2015年は東京都1部リーグのFCフエンテ東久留米で現役復帰。
1年間プレーし正式に現役を引退した。

金沢浄の引退後と現在

金沢浄は引退後、地元である埼玉県に室内コートが2面ある「JO FUTSAL BASE入間」を開業し運営を行っている。

その他にも2015年から一般社団法人JOLTIVA(ジョルティーバ)を立ち上げ、スクールの運営に携わっている。

また、2021年からは狭山ヶ丘高校サッカー部の外部コーチとして選手の育成に努めている。

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