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飯尾一慶の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第63回】

前線で起点となり、持ち前のスピードに乗った高速ドリブルで相手チームに仕掛けていく。

飯尾一慶。

上背はないがポストプレーに優れ、ボールを受けると高い技術で確実に味方に繋いでいく。

気持ちを前面に出す熱いスタイルでチームを鼓舞し、前線から激しいプレスにいくのも飯尾の持ち味だ。

チャンスメーカー、飯尾一慶に迫る。

飯尾一慶のプロ入り前


飯尾は1982年に岩手県二戸市に生まれた。

幼少期にサッカーを始め、神奈川県横浜市に転居後、田奈スポーツクラブに所属。

横浜市立田奈中学校在学中はヴェルディ川崎の下部組織である読売日本SCジュニアユースで技術を磨いた。

親栄高等学校に進学後はユースに昇格し、高校在学中にヴェルディ川崎の2種登録選手となる。

高校3年生の時、1STステージ第15節 横浜F・マリノス戦でJリーグデビュー。

高校生でのデビューは”天才”と呼ばれた読売クラブ時代のMF菊原志郎以来14年ぶりの快挙と話題になった。

同年は背番号26をつけリーグ戦4試合に出場した。

飯尾は世代別日本代表にも継続して選出される。

U16日本代表ではキャプテンマークを巻いて戦った。

高校卒業後の2000年にはヴェルディ川崎とプロ契約を結んだ。

飯尾一慶のプロ入り後

背番号20をつけて挑んだプロ1年目は26試合に出場して4得点を挙げた。

この年、U20日本代表に選出。

背番号17を背負い、佐藤寿人、前田遼一、平本一樹、田原豊らとレギュラーを争ったがグループリーグ突破は成らなかった。

その後、飯尾は2002年に当時J2の川崎フロンターレへレンタル移籍。

1シーズンプレーし7試合に出場し2得点を挙げた。

2003年にヴェルディに復帰後、2005年に再度川崎フロンターレ、2006年にはアビスパ福岡へレンタル移籍するも2007年にヴェルディへ復帰する。

その後は2013年までヴェルディの主力としてプレーした。

2013年はキャプテンとしてチームを牽引したが、この年限りで飯尾はヴェルディを退団。

2014年からJ2の横浜FCへ移籍し、2シーズンプレー。

2016年にはヴェルディで共に戦った元日本代表の高原直泰が立ち上げた、当時沖縄県リーグ3部の沖縄SVへ移籍。

2018年、沖縄SVが九州リーグに昇格したことを置き土産に引退をした。

飯尾一慶の引退後と現在

飯尾は現役引退後、サッカースクール「クレシメント」でジュニア世代の育成を行なっている。

クレシメントの特徴はコーチ全員が元Jリーガーということで、基礎から高いレベルで学べるということだ。

土屋征夫や西紀寛、吉田正樹など、飯尾が共にヴェルディで戦った選手がコーチとして在籍している。

まだ幼い頃から飯尾一慶のような技術の高い選手から学べるということは大きな利点だ。

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