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滝澤邦彦の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第437回】

繊細なボールタッチと確かな足元の技術を武器に、左アウトサイドで活躍した滝澤邦彦。

武南高校を卒業後、名古屋グランパスエイトへ入団すると高卒1年目ながら開幕戦にスタメンで出場した。

横浜FCに在籍時は縦への突破と正確なクロスで攻撃を牽引し、J2優勝とJ1昇格の原動力となった。

プレースキックも担う左足での強烈なミドルシュートも滝澤の魅力のひとつだ。

滝澤邦彦のJリーグ入り前


滝澤は1978年に東京都府中市に生まれた。

4歳の時にサッカーを始め、小学校入学後、府中第7小学校フットボールクラブでサッカーを学んだ。

府中第七中学校卒業後、埼玉の武南高等学校へ進学。
同級生に寶示戸進哉(ジュビロ磐田)、1学年下に青葉幸洋(ヴァンフォーレ甲府)、三上卓哉(浦和レッズ)がいる。
2学年上には宮沢克行(浦和レッズ)、金沢浄(ジュビロ磐田)がいた。

高校時代は持ち前の突破力と左利きを生かしたプレーで攻撃的MFとして活躍。
選手権出場は叶わなかったが、高校3年次には埼玉県選抜に選出され、国体に出場した。
国体では河合竜二や堀之内聖らとともにプレーをした。

高校卒業後、名古屋グランパスエイトに入団する。
同期には同期入団に山崎光太郎中谷勇介、三原廣樹、古賀正紘がいる。

滝澤邦彦のJリーグ入り後

1997年、滝澤は高卒1年目ながら1997年4月12日開幕節セレッソ大阪戦で、同期入団の古賀正紘とともにスタメン出場を果たす。
カルロス・ケイロス監督に認められ、その後もシーズン序盤は左のサイドバックとしてリーグ戦9試合に出場した。

その後、2年間はサテライトでの調整が続くも、2000年頃から出場機会を増える。

左サイドの中谷勇介が怪我がちだったこともあり、滝澤は左サイドハーフとしてレギュラーを掴むと、2002年にはリーグ戦29試合に出場した。

2003年も開幕戦からフル出場し、第12節ヴィッセル神戸戦では貴重な勝ち越しゴールを決め3-0での勝利に貢献した。
キックの精度が高く、コーナーキックのキッカーも務めた。

2004年は中谷勇介が復調し、出場機会が減少するとシーズン途中にヴィッセル神戸へレンタル移籍。
しかし神戸ではほとんど出場機会を得られないまま退団した。

2005年はオシム監督が率いるジェフ千葉に加入。
村井慎二が抜けた左サイドを埋める活躍が期待されるも、水野晃樹の台頭もありリーグ戦5試合の出場に留まった。

2006年はJ2の横浜FCへ移籍。
途中出場が多いながらも、左サイドで存在感を示し、鋭い突破からクロスを供給しアシストを量産。
横浜FCのJ2優勝とJ1昇格に貢献した。

2007年の横浜FCは奥大介久保竜彦ら元日本代表を獲得し、第2節の横浜Fマリノスとのダービーを制すなど躍進が期待されたが、その後は勝ちきれない試合が続き、10月20日のヴィッセル神戸戦に敗れると、早くもJ2降格が決定した。
滝澤はシーズンを通してレギュラーとしてはチームを支え、リーグ戦31試合に出場した。

2008年も主力として横浜FCでプレーするも、この年を持って退団。

2009年には高木琢也監督が率いる東京ヴェルディへ移籍。
4-3-3の左ハーフとして活躍し、リーグ戦35試合に出場するも、1年で退団することになった。

2010年にはタイ・プレミアリーグへ活躍の場を移し、バンコク・グラスFCでプレー。
2年間でリーグ戦45試合に出場。シンガポール杯優勝に貢献した。

2012年にはランシット・ユニバーシティFCに所属。
しかしチームは16位でディヴィジョン2に降格した。

2013年はアユタヤ・ユナイテッドFC、そして2014年は再びランシットでプレーしこの年を持って現役を引退した。

滝澤邦彦の引退後と現在

滝澤は引退後、名古屋グランパスエイトのスクールコーチに就任。

現在はアカデミーコーチとして活躍している。

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