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久藤清一の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第434回】

卓越した戦術眼とキレのあるドリブルを武器にジュビロ磐田やアビスパ福岡で活躍したユーティリティプレーヤー久藤清一。

ラストプレーに絡むことが多く、1996年のシーズン中盤まではJリーグのアシストランキングのトップを争った。

現役晩年は正確なキックを駆使し、アビスパ福岡で背番号10を背負い、ボランチとして活躍。

2010年にはアビスパ福岡の5年ぶりのJ1昇格に大きく貢献した。

久藤清一のJリーグ入り前


工藤は1974年に兵庫県尼崎市に生まれた。

長川小学校4年生の時にサッカーを始め、福岡市南区にある横手中学校に進学し、サッカー部に所属した。

中学校卒業後、強豪校・筑陽学園高校に進学。
2学年下に大場啓(徳島ヴォルティス)、久保竜彦(サンフレッチェ広島)がいた。

高校ではフジタ工業(現在の湘南ベルマーレ)でプレー経験のある名将・吉浦茂和監督の元でサッカーを学んだ。

選手権やインターハイへの出場は叶わなかったが、高校3年次に福岡選抜に選出され、国体に出場した。

全国的に無名の選手であったため、卒業後は就職か大学進学を考えていたが、吉浦監督の勧めによりJクラブの入団テストを受けることになった。

名古屋、広島、磐田のテストを受け、その中から合格したジュビロ磐田に入団することになる。

久藤清一のJリーグ入り後

1993年にジュビロに入団した久藤は2年目のシーズンに出場機会を得る。

1994年8月20日第4節ガンバ大阪戦でベンチ入りをすると、後半途中で藤田俊哉と交代でピッチに入り、Jリーグデビューを果たした。
その後の試合もFWとしてベンチ入りし、松原良香や大石隆夫と交代で出場しリーグ戦9試合に出場した。

1995年は出場機会を増やし、9月6日NICOSシリーズ第7節柏レイソル戦でFW鈴木将方と交代でピッチに入ると、その3分後にJリーグ初ゴールをマーク。
この試合は打ち合いとなったが4-2で勝利している。
このシーズンはリーグ戦15試合に出場し2ゴールを記録した。

1996年は開幕戦のアビスパ福岡戦からサイドのレギュラーを掴む。
中山雅史、スキラッチの強力な2トップにドリブルとラストパスで絡み、アシストを量産。
第9節のセレッソ大阪戦までに9アシストを記録し、前半シーズンはリーグのアシストランキングのトップを争う活躍を見せた。

この活躍を受け、久藤はアトランタオリンピック日本代表の候補メンバーに選出。
最終的には本戦メンバーからは外れるも、土肥洋一松波正信安永聡太郎とともにバックアップメンバーとしてチームを支えることになった。

1997年以降は、サイドやセンターを問わず、どこでも出来るユーティリティ性を発揮し、ボランチやセンターハーフとして出場する。
しかし、ジュビロ磐田の中盤は藤田俊哉、名波浩、奥大介福西崇史、ドゥンガなどがおり、リーグでもトップレベルの層の厚さを誇っていたため、なかなか出場機会を増やせなかった。

1998年には出場機会を求めてアビスパ福岡へレンタル移籍。
年間順位最下位に沈んだ福岡は、Jリーグ下位4チームとJリーグ準会員1チームによって争われるJ1参入決定戦に進む。
1回戦はJFLの川崎フロンターレとの闘いとなったが、この試合で久藤は貴重な同点ゴールを決める。延長戦に進み、その後フェルナンドの一撃で勝利を掴んだ福岡は、2回戦でジェフ市原に敗れるも、第3代表決定戦に回り、そこでコンサドーレ札幌を下し、J1残留を果たした。

1999年はジュビロへ復帰し、背番号11を背負い、攻撃的な右サイドバックとして活躍。
シーズン後半は故障で欠場が続いたが、リーグ戦20試合に出場しジュビロ磐田の年間優勝に貢献した。

2000年のシーズン途中にセレッソ大阪へ移籍。
中盤のバランサーや右サイドバックとして活躍し、安定感のあるプレーで中盤を支えた。

2004年からは背番号7を背負い、主に右サイドハーフとして活躍。
トップ下の森島寛晃や古橋達弥の後方か右サイドでプレーする機会が多く、自身の得点は少ないながらも得点に絡む機会は多かった。

2006年にセレッソでともにプレーした布部陽功とともにアビスパ福岡へ移籍。
福岡では背番号10を背負い、右サイドのレギュラーとして活躍。
しかし加入初年度に16位と低迷した福岡は、入れ替え戦に回ることになり、J2ヴィッセル神戸との死闘の末にJ2へ降格することになった。

その後も福岡に残留し、ベテランながらシーズンを通してレギュラーとして活躍。
2010年には5年ぶりのJ1昇格に大きく貢献し、この年限りで現役を引退した。

久藤清一の引退後と現在

久藤は引退後、アビスパ福岡の下部組織で指導者としてのキャリアをスタート。

2016年にはロアッソ熊本のトップチームコーチを担い、2018年からアビスパ福岡のトップチームコーチ、監督を務めた。

2020年からはザスパクサツのコーチに就任し、翌年は監督としてチームを率いた。

2022年からはツエーゲン金沢のヘッドコーチに就任している。

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