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横内昭展の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第344回】

2022年のカタールワールドカップ。森保一監督の隣で画面に映る男。

横内昭展においては現役時代よりも、日本代表のコーチとしての印象が強いかもしれない。

横内昭展は現役時代、マツダやサンフレッチェ広島でプレーした。
代表経験はないが、正確なクロスとスピードあふれるドリブルが魅力のサイドアタッカーだった。

現役時代は怪我に泣き、満足のいく実績は残せなかった横内昭展だが、引退後は指導者としてのキャリアをスタート。

森保監督がJ1広島を率いた2012、13年にヘッドコーチとしてリーグ連覇を達成し、絶大な信頼を得ると、2018年には森保監督の右腕として日本代表のコーチに就任。

そして、2023年。横内昭展はJリーグジュビロ磐田の監督に就任した。

最高の参謀、最強の名脇役と呼ばれた男が、満を持してJリーグの監督としてチームを率いる。

横内昭展のプロ入り前

横内は1967年に福岡県北九州市に生まれた。

小学校2年生の時に若松サッカースポーツ少年団でサッカーを始める。

北九州市立高塔中学校進学後、九州大会で3位に入り全国大会に出場する。

この活躍を受け、横内は監督の推薦で東海大五高に進学。横内の1学年下には岡中勇人(ガンバ大阪)、2学年下には後藤太郎(名古屋グランパス)がいる。

3年次には全国高校サッカー選手権に、福岡県代表として出場。
1回戦で日大山形に3-2で勝利するも、2回戦では鎌倉高校に0-1で敗れている。

この大会には平戸高の前川和也(サンフレッチェ広島)や宇都宮学園の黒崎久志(鹿島アントラーズ)、修徳の北沢豪(ヴェルディ川崎)、清水商の江尻篤彦(ジェフ市原)、真田雅則(清水エスパルス)など、創世記のJリーグで活躍する選手が多く出場している。

横内は高校卒業後、サンフレッチェ広島の前身であるマツダSC(東洋工業サッカー部) に入団する。

横内昭展のプロ入り後

マツダに入部した横内だったが、入団当初は実績もなくコーチから怒られっぱなしだったという。
同期入団は日本代表で活躍するGK前川和也、高い攻撃センスを持った島卓視であった。
横内の1年後輩に森保一がおり、同じ寮で生活をしていたことからこの頃から交流があった。

入団数年は出番に恵まれなかったが、入団3年目の1989年にJSL2部でデビュー。リーグ戦13試合に出場しマツダの3位躍進に貢献。翌年はリーグ戦9試合に出場しレギュラーとしてシーズンを戦った。

1992年、プロ化に伴いサンフレッチェ広島となったチームと契約。
同年、9月19日ヤマザキナビスコカップ第4節の横浜マリノス戦でベンチ入りをすると後半28分に路木龍次と交代しカップ戦デビューを飾るも、この試合は2-3で敗れている。

翌年、Jリーグが開幕。
横内は怪我もあり、出遅れたが11月17日のヴェルディ川崎戦で背番号11を付け、Jリーグデビューを飾るも前半のみで松田浩と交代し試合も1-3で敗れている・

その後もベンチ入りはするものの出番に恵まれなかったが、12月1日の第16節ジェフ市原戦で交代出場し勝利に貢献。Jリーグ1年目はリーグ戦2試合の出場に終わった。

1994年は怪我の影響もあり、リーグ戦出場はなく、サンフレッチェ広島のサントリーシリーズ優勝はスタンドで見届けている。

1995年は再起を図るも、リーグ戦出場は2試合に終わる。10節浦和レッズ戦で片野坂知宏と交代で後半から出場し試合に勝利するが、この試合以降出番はなく、横内にとってラストゲームとなった。

横内昭展の引退後と現在

横内は引退後、サンフレッチェ広島のスクールコーチに転身。1年間スカウトも経験している。

その後は育成年代のコーチを務め、2003年からはサンフレッチェ広島のコーチに就任。

2012、2013年には森保監督と共に、ヘッドコーチとしてリーグ連覇を達成している。

日本代表の森保監督は「横内コーチの言葉は私の言葉」と言うほど横内に絶大的な信頼を寄せており、横内自身も森保について「家族よりも長い時間を共有していて、現役時代からの戦友だと思っている」と語っている。

個人的に2022年のワールドカップベスト16を達成したことについては、横内昭展の存在はとても大きかったと感じる。

森保にとっても現役時代から苦楽を共にした横内の存在は代えの利かない存在であったと思うし、横内も同じ環境で戦ってきた森保監督がいたからこそ信念を貫き通せた部分はあるのではないだろうか。

2023年、横内昭展は日本代表コーチを退任し、ジュビロ磐田の監督に就任した。

監督としてどんなサッカーを見せてくれるのか、とても楽しみであるのと同時に、横内昭展がいなくなった日本代表への不安も少なからず感じるのが正直なところだ。

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