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サパタの現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第219回】

現役アルゼンチン代表として横浜マリノスで活躍した守備的MFサパタ。

高い守備能力と正確なフィード力を持ち、攻守の要として活躍した。

キャプテンシーも強くマリノスの前にプレーしていたアルゼンチンの名門CAリーベル・プレートではキャプテンも務めた。

1995年にはリーグ戦46試合に出場しマリノスのリーグ年間優勝に大きく貢献。

マリノスを離れた後もアルゼンチン代表としてワールドカップ予選に出場を果たした経歴を持つ。

サパタのJリーグ入り前


サパタは1967年にアルゼンチンのブエノスアイレス州に生まれた。

1986年、サパタが19歳の時にアルゼンチンのCAテンペルレイとプロ契約を結んだ。

1989年にはCAリーベル・プレートに移籍。リーベルではキャプテンを務め、主力として活躍。後に代表やマリノスで共にプレーするメディナベージョや若き日のバディストゥータやオルテガと共にプレーをした。

1989-1990シーズン、1991-1992シーズンのリーグタイトル獲得に貢献。1989年にはアルゼンチン代表に招集された。

アルゼンチン代表として1991年のコパアメリカに出場。シメオネやバディストゥータらと共にチームを支え、決勝でブラジルを倒しアルゼンチンのコパアメリカ12回目の優勝に貢献した。
1993年のコパアメリカにも出場し、2連覇を果たした。

1993-1994シーズンもリーベルで開幕を迎えたが、1993年10月に横浜マリノスからオファーを受け、サパタはJリーグに参戦する。

サパタのJリーグ入り後

1993年12月1日NICOSシリーズ第16節名古屋グランパスエイト戦でJリーグデビューを飾る。

この試合から最終戦まで3試合連続でフル出場を果たすがシーズン終盤の加入ということもありこのシーズンはリーグ戦3試合の出場となった。

1994年は開幕戦から先発出場を続ける。マリノスにはディアスメディナベージョ、ビスコンティというアルゼンチン人に加えブラジル人のエバートンが在籍していた。3人の外国人枠をこの5人で争う形となった。前年度得点王を獲得したディアス、そのパートナーであるメディナベージョの2トップは不動で据え、中盤にサパタとビスコンティのどちらかを起用する試合が続いた。

1995年はシーズンを通して不動のレギュラーとして活躍。危機察知能力に優れ、高い位置で攻撃の芽を摘むことが出来るサパタはマリノスのスピードを生かしたカウンター攻撃に欠かせない人物であり代えのきかない選手となった。

このシーズンはリーグ戦52試合中46試合に出場。1stステージ制覇に貢献し、2ndステージ覇者のヴェルディ川崎とのチャンピオンシップにも2戦ともフル出場を果たし、マリノスの年間チャンピオンのタイトル獲得に大きく貢献した。

1996年もマリノスでプレーし、リーグ戦26試合に出場するがこの年をもって日本を離れアルゼンチンに帰国。

1997年目からはアルゼンチン1部リーグのCAサン・ロレンソでプレー。
アルゼンチン代表としても再び招集され1997年のワールドカップ予選に出場するが本戦への出場は叶わなかった。

ロレンソでは4年間プレーし、現役最終年はアルゼンチン2部リーグのCAチャカリタ・ジュニアーズでプレー。

2000-2001シーズンをもって現役を引退した。

サパタの引退後と現在

サパタは引退後、指導者に転身し古巣であるリーベルやロレンソ、CAロサリオ・セントラルでコーチを務めた。

2016年からはスペインに渡り、UDアルメリアのアシスタントコーチを務めている。

サパタはマリノス創世記に在籍したアルゼンチン人選手の中で唯一の守備的な選手であった。

サパタのようにJリーグ退団後も母国の代表選手としてプレーした外国人選手は少ない。

派手なプレーは少ないが縁の下の力持ち的な存在であり、スター選手の多かったマリノスを影で支える名プレイヤーだった。1995年のマリノス年間優勝の影の立役者であるといっていいだろう。

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