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村井慎二の現役時代、プレースタイルや生い立ちに迫る【第417回】

左アウトサイドのスペシャリストとして、制度の高いクロスを配給する村井慎二。

ウイングとしてのプレーだけでなく中央に切り込んでのドリブルや意表を突いたシュートも大きな武器だ。

2005年にはジーコジャパンに選出され、左のアクセントとして期待されるがドイツワールドカップを目前にじん帯断裂の大怪我を負った。

現役晩年は、大分トリニータのJ1昇格に貢献するなど、精神的支柱として存在感を発揮した。

村井慎二のJリーグ入り前


村井は1979年に茨城県水戸市に生まれた。

親の仕事の都合で千葉県に引っ越し5歳の時にサッカーを始めた。

山形県山形市に引っ越しをし、山形市立第五小学校に入学後、千葉市に戻り、千葉市立宮野木小学校に転校し宮野木サッカークラブに入る。

中学校に進学後はジェフユナイテッド市原ジュニアユースに所属。同期に酒井友之がいる。
日本クラブジュニアユースサッカー選手権では2年連続で準優勝を果たした。

千葉県立幕張総合高等学校進学後、ジェフユナイテッド市原ユースに昇格。
高校2年次に出場した日本クラブユース選手権では主力として活躍し、ジェフユースのベスト4入りを果たす。

高校卒業後、ジェフユナイテッド市原トップチームに昇格を果たした。同期には西脇良平、細田穣、酒井友之がいる。

村井慎二のJリーグ入り後

1998年の昇格後、しばらくはサテライトでの出場が続いたが、1998年10月31日2ndステージ第14節サンフレッチェ広島戦で後半18分にマスロバルと交代でJリーグ初出場を果たした。
この試合は0-0のまま延長戦でも決着がつかずPK戦に突入。
村井は3人目のキッカーを担ったが外している。試合は8人目の中田一三が決め、サンフレッチェの柳本啓成が外しためジェフが勝利している。

続く第15節アビスパ福岡戦では初先発し、前半24分にJリーグ初ゴールを決めている。

しかしその後の1999年はリーグ戦1試合、2000年はリーグ戦2試合の出場に留まる。

2001年にはズデンコ・ベルデニック監督のもとで出場機会を掴む。
左アウトサイドでボールを受け、キレのあるドリブルで崩して中央の崔龍洙(チェ・ヨンス)に合わせるのがジェフの得点パターンとなった。
この年はリーグ戦25試合に出場し1ゴールを決め、村井にとって飛躍のシーズンとなった。

2003年にイビチャ・オシムが監督に就任してもその地位は変わらず、オシムが提唱した「走るサッカー」の中心人物としてジェフの躍進を支えた。

2005年に山本昌邦監督から誘われる形でジュビロ磐田へ移籍。

ジェフ時代と同じく、左アウトサイドで起用されるとジェフ時代にともにプレーした崔龍洙や、その後日本代表に選出される前田遼一、この年の新人王を獲得するカレン・ロバートらと息の合ったプレーを見せる。

この活躍を受け、2005年に東アジア選手権を戦うジーコ監督が率いる日本代表に初招集。
左サイドで先発し、74分に三都主アレサンドロと交代するまで何度も効果的なクロスをあげ、ピッチの中で躍動した。

2006年ドイツワールドカップ日本代表入りも期待されたが、2006年5月9日のキリンカップ・ブルガリア代表との試合で、左ひざ前十字じん帯断裂の重傷を負う。
村井はこの試合でも左の鋭い攻め上がりから質の高いクロスを供給しており、代表にとって貴重な戦力として考えられていたために非常にショッキングな出来事であった。
そしてこの試合が村井の代表での最後の試合となった。

2010年に古巣のJ2・ジェフ千葉に移籍。
31歳の村井はベテランとしてチームを支えるが腰痛のために思うようなプレーが出来ず、出場機会は少なかった。

2012年にはJ2・大分トリニータへ移籍。
背番号11を背負い、攻撃の要としてフル稼働。
キャリアハイとなるリーグ戦37試合に出場し5ゴールを決め、プレーオフ進出に貢献。
プレーオフ決勝では古巣のジェフを相手に1-0で勝利を挙げ、J1昇格を果たした。

2013年、J1での戦いとなったが大分はリーグ戦で僅か2勝しか挙げることができず、村井はこの年をもって退団。

2014年に地元の千葉県社会人サッカーリーグ3部のコラソン千葉の選手兼任監督に就任し、1年間プレーし現役を引退した。

村井慎二の引退後と現在

村井は現役引退後、城西国際大学サッカー部コーチに就任。

その後、ジェフ千葉の強化クラスコーチ兼アカデミースカウトに就任している。

村井慎二は2005年のじん帯断裂から不屈の闘志で復帰を果たした。

年齢的にもピークを迎え、最初で最後になるかもしれないワールドカップだった。

自分からバツ印を出してピッチを去ることになった時、村井は本当に悔しかっただろう。

しかし、ワールドカップ出場目前で夢が断たれるという残酷な経験を乗り越えて村井はピッチに帰ってきた。

ベテランの領域に達して、若い頃のように動けなくなってもチームの為に惜しみなく走る献身的なプレーは変わらなかった。

怪我でキャリアを棒に振る選手が多い中、村井のカムバックは多くの人間に勇気を与えたことだろう。

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