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山口智の現役時代、プレースタイルや生い立ちに迫る【第416回】

1996年、17歳の山口智は、ジェフ市原でJリーグ史上初の高校生Jリーガーとしてピッチに立った。

その後もガンバ大阪でキャプテンとして最終ラインを任され、Jリーグや天皇杯での優勝、AFCチャンピオンズリーグ優勝に貢献。

ガンバ大阪の黄金期は山口智を抜きにしては語れないだろう。

代表でも、U-19、U-20、U-23とステップアップし、2006年には念願のフル代表に選出された。

数多くのタイトルを獲得し、Jリーグベスト11に3年連続選出された最終ラインの砦、山口智に迫る。

山口智のJリーグ入り前


山口は1978年に高知県高岡郡佐川町に生まれた。

小学校の時に佐川サッカースクールでサッカーを始め、卒業後は地元の佐川町立佐川中学校に進学。

中学校時代は全国中学校選抜大会に出場し、そのプレーを見たジェフ市原スカウトから誘われ、ジェフ市原ユースに入団する。

中学校卒業後、高知県の実家を出て東京都北区にある成立高等学校に進学し、市原ユースでサッカーを続けた。

市原ユースで順調にキャリアを積み、ユース選手権ベスト4入りを経験。

ユース在籍中にトップチームに帯同するようになると、Jリーグ開幕戦のサンフレッチェ広島戦でベンチ入りを果たす。
そして、第2節京都パープルサンガ戦では後半20分に栗原克志と交代でピッチに立つ。
この17歳11カ月3日という年齢での出場は当時の史上最年少出場記録となった。
続く第3節ベルマーレ平塚戦でも途中出場を果たすと、第4節柏レイソル戦ではフル出場を果たした。

この年は高校生ながらリーグ戦12試合、カップ戦2試合、天皇杯1試合に出場した。また同年、U-19日本代表に選出されAFCユース選手権に出場した。
高校卒業後、ジェフとプロ契約を結ぶ。

また、「将来のことを考えてサッカー以外のことも学びたい」と考え、明海大学外国語学部英米語学科に進学する。

山口智のJリーグ入り後

1997年4月12日の開幕戦ヴェルディ川崎戦でセンターバックとして先発すると、その後も出場を続け、武藤真一鈴木和裕中西永輔と4バックを形成した。
2ndステージ 第9節アビスパ福岡戦ではJリーグ初ゴールを決める。このゴールは貴重な同点ゴールとなり、2-1での逆転勝利に貢献した。

この年はFIFAワールドユース選手権を戦うU-20日本代表に、ジェフから廣山望とともに選出される。
山口はグループリーグから全試合にフル出場し、日本の2大会連続のベスト8入りに大きく貢献した。

その後もジェフでは不動のレギュラーとして活躍し、2000年のシドニーオリンピックを戦うU-23日本代表に選出されるが、出場機会は訪れずバックアップメンバーに留まった。

2001年、ガンバ大阪にレンタル移籍。
ガンバでは宮本恒靖木場昌雄實好礼忠らとセンターバックを組む。
2002年には完全移籍をし、4バックでも3バックでも不動のレギュラーとして活躍し、キャプテンとしてチームを統率した。

2005年には初優勝を果たし、その後黄金期に入っていくガンバ大阪において代えのきかない選手として活躍。

2006年にはオシム監督により念願の日本代表に選出されると、背番号5を背負い、後半途中に長谷部誠と交代で代表初キャップを飾る。試合も4-0で大勝し山口はクリーンシートでの勝利に貢献した。

その後も5月31日に国立競技場で行われた日本対ベルギー戦でも、田中マルクス闘莉王と交代で出場し勝利に貢献している。しかし代表には定着できず、このベルギー戦が最後の代表戦となった。

2006年からは3年連続でJリーグベスト11に選出される。
また2006年はDFながらリーグ戦6得点を挙げ、得点能力の高さを証明した。

2008年にはAFCチャンピオンズリーグにキャプテンとして出場し、チャンピオンとなる。
翌年のクラブワールドカップではC・ロナウドやルーニー、ギグス、カルロス・テベスのいるマンチェスターユナイテッドと対戦し、敗れはしたもの3-5と善戦し高い評価を得た。

2012年には古巣のJ2ジェフ千葉へ移籍。
2013年からはキャプテンを務め、J1復帰を目指すも昇格は叶わなかった。
ベテランとしてチームを支え、2014年にはプレーオフに出場。モンテディオ山形とJ1昇格をかけて戦うが0-1で敗れ、昇格が見送られるとこの試合を最後にジェフを退団した。

2015年、トライアウトを経て京都サンガへ移籍。
キャプテンを任され、2015年3月8日の第1節アビスパ福岡では京都のシーズン初ゴールを決め3-1での勝利に大きく貢献。
主力としてチームを牽引するも、シーズン中盤から出場機会が減り、この年を持って京都を退団し、引退を表明。

37歳での現役引退となった。

山口智の引退後と現在

山口は引退後、指導者に転身。
ガンバ大阪で強化スタッフとなり、その後トップチームでヘッドコーチを務めた。

2021年には湘南ベルマーレのトップチームコーチに就任し、その後は監督を務めている。

20年という長い現役生活において、山口が残した成績は偉大だ。
J1で448試合出場37得点、J2で116試合出場13得点、ヤマザキナビスコカップで74試合出場6得点、天皇杯で50試合出場6得点、AFCチャンピオンズリーグでは32試合出場6得点という成績を残している。

最終ラインからのビルドアップの起点としてチームを支え、持ち前のキャプテンシーで所属した3クラブすべてでキャプテンを務めた山口智。

2005年のJリーグ初優勝、2007年にはナビスコカップ、2008年から2年連続で天皇杯連覇、そしてAFCチャンピオンズリーグ制覇と、ガンバ大阪が築いた輝かしい歴史には常に山口智の名が刻まれている。

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