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岩下敬輔の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第450回】

1対1の局面で強さを発揮するDF岩下敬輔。

空中戦に強いため、セットプレーでは貴重な得点源となった。

キープ力やフィードのの正確性も高いため、ボランチやサイドバックとしてもプレー。

2009年に清水エスパルスでレギュラーを掴むと、岡田武史監督により日本代表に選出。2014年にはガンバ大阪で国内3冠の原動力となった。

後輩の面倒見の良い男気溢れる正確で知られ、闘争心溢れるプレースタイルからアニキという愛称で慕われた。

岩下敬輔のJリーグ入り前


岩下は1986年に鹿児島県伊集院町に生まれた。

5歳の時に自宅の前の公園でスクールをやっており、人数合わせのために参加を頼まれて始めたのがきっかけでサッカーを始めた。
伊集院北小学校入学後、石谷サッカースポーツ少年団に入団。
小学校時代には低学年の頃からレギュラーで活躍し、5年生の時に全日本少年サッカー大会に出場した。
予選でカレン・ロバートの所属する柏レイソル(U-12)と対戦し大差で敗れたことでプロとして活躍することを志すようになる。

強豪校である桜島町立櫻島中学校進学後、サッカー部で活躍。
櫻島に父親と転居する。中学時代は鹿児島県選抜として活躍した。

中学校卒業後、鹿児島実業高等学校へ進学。
1学年上に伊野波雅彦(FC東京)、森洋介(FC岐阜)がいる。

岩下は高校1年次から活躍し、1年次の終わりには清水エスパルスの鹿児島キャンプに参加するようになる。
高校2年次には横浜Fマリノスの練習に参加した。

選手権には3年連続で出場。
高校2年次には4バックのセンターとして活躍。
準決勝で筑陽学園に1-2で敗れるもベスト4入りに貢献した。

高校3年次にはキャプテンとしてチームを牽引。
選手権では順当に勝ち進み、決勝で市立船橋をPK戦の末に破り、優勝を果たした。
同年の高校総体ではベスト16入りを果たし、鹿児島県選抜として国体にも出場した。

高校卒業後、監督の勧めもあり清水エスパルスへ入団する。同期入団に岡崎慎司がいる。

岩下敬輔のJリーグ入り後

入団1年目に長谷川健太が監督に就任。
同年5月1日第9節大宮アルディージャ戦でJリーグデビューを果たした。
本職のセンターバックではなく、ボランチとして起用され伊東輝悦と中盤の底を支えた。

入団3年目の2007年から出場機会を増やす。
サイドバックとして左右どちらも出来るユーティリティ性もあるため、様々なポジションで起用されたが、センターバックは同学年の青山直晃とコンビを組んで最終ラインを支えた。

2009年には不動のレギュラーとしてシーズンを通して活躍。
リーグ戦29試合に出場し、DFながら5ゴールを奪うなど得点能力の高さも見せた。
この活躍もあり、同年10月には岡田武史監督により日本代表に初選出される。
同年10月10日、キリンチャレンジカップ・スコットランド戦、10月14日のトーゴ代表戦にベンチ入りをするも出場機会はなかった。

2010年は右足甲の負傷で出遅れ、リーグ戦20試合の出場に留まるも、2011年はゴトビ監督から展開力を評価され、序盤はアンカーとして出場を続ける。
しかし岩下が抜けたことにより最終ラインが不安定になり、それを支えるため、ボスナーとともにセンターバックを守ることになった。

2012年、出場機会が減少したため、同年8月にガンバ大阪へレンタル移籍。
ガンバはシーズン序盤につまづき、降格を危ぶまれる危機的状況であった。後半戦に巻き返すためにカタールリーグ1部に在籍していたレアンドロ、蔚山現代の家長昭博とともに入団した。
岩下はサイドバックやセンターバックとして出場しDFラインに安定性を与える。
しかし序盤での取りこぼしが響き、最終節でジュビロ磐田に1対2で敗れるとJ2に降格することになった。
岩下は終盤の2試合を出場停止のために欠場しており、悔やまれる形となった。

2013年は自身初めてのJ2での戦いとなった。
シーズン序盤はレギュラーとして活躍するも4月28日第11節ガイナーレ鳥取戦で右足関節を捻挫し離脱。
第26節の東京ヴェルディ戦も同じ個所を負傷し離脱したため、出場機会はリーグ戦17試合に留まったがガンバは1年でのJ1復帰を果たした。

2014年はシーズンを通してレギュラーとして活躍。
ナビスコカップでは自身初のタイトルを獲得し人目をはばからず号泣した。
リーグ戦でも出場停止の試合を除いた全試合に出場し、リーグ優勝に貢献。
更に天皇杯も制覇し、国内タイトル3冠を獲得することになった。

2015年も最終ラインを任され、出場を続けるが右膝の負傷により離脱。

2016年もリーグ戦10試合の出場に留まるとこの年をもってガンバ大阪を退団した。

2017年はJ2アビスパ福岡へ移籍。
井原正巳監督のもとで、冨安健洋とともにDFラインを支え、リーグ戦32試合に出場。
2018年には森岡隆三への憧れから背番号を11に変え、DFリーダーとして福岡の最終ラインを担った。

2019年にはイタリア人のファビオ・ペッキアが監督に就任するもキャンプの時点で構想外であることを伝えられ、サガン鳥栖へ移籍。
しかし負傷のためにリーグ戦の出場は無かった。

2020年も負傷のため、出場機会は少なくリーグ戦2試合、カップ戦1試合に出場したがこの年を持って現役を引退した。

岩下敬輔の引退後と現在

岩下は引退後、代理人として活動。新たなるプロ選手の発掘を目指し活躍している。

現役時代、闘争心溢れるプレースタイルで存在感を示す一方で警告や退場となる試合も多かった岩下敬輔。

岩下の代名詞ともいえる激しいチャージに物議を醸すことも少なくなかった。

しかしガンバで共にプレーした宇佐美貴史や、アビスパ福岡で最終ラインを共に支え冨安健洋など、彼を慕う後輩は多い。
まだまだ粗削りだった3年目の冨安にとって岩下の存在は大きく、「敬輔さんと出会っていなかったら今の僕はない」と語っている。

岩下は熱い魂をもったまま、今度は代理人として選手を支え続ける。

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