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平井将生の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第451回】

平井将生は裏へ抜け出す圧倒的なスピードと、左右両足から放たれる正確で強烈なシュートを持つFWだ。

2010年に出場機会を得ると、ストライカーとして覚醒。

リーグ戦30試合で14得点を挙げ、得点ランキング5位となる活躍を見せると同年に日本代表候補に選出された。

現役晩年はJ3ギラヴァンツ北九州やJFLのFCマルヤス岡崎に所属し、頼れるベテランとして存在感を示した。

平井将生のJリーグ入り前


平井は1987年に徳島県徳島市に生まれた。

幼稚園の時にサッカーを始め、徳島市立上八万小学校1年生の時に上八万SCに入団する。

徳島市立上八万中学校進学後は、プルミエール徳島SCに所属しサッカーを学んだ。
同期に阿部一樹(愛媛FC)、1学年下に大西孝治(徳島ヴォルティス)がいる。

中学校卒業後、ガンバ大阪ユースを誘いを受け、単身上京。
向陽台高等学校に通いながらユースでサッカーに励んだ。
同期には安田理大、横谷繁、植田龍仁朗、伊藤博幹、岡本英也がいる。

ガンバユースが大阪府以外から獲得した第1号選手となった平井は、主にサイドハーフを担った。
島田貴裕監督のもとで3年次にレギュラーを掴む。
6月には前十字靭帯断裂の大怪我を負い、入院生活を余儀なくされるが、トップチームの監督である西野朗の勧めもあり、トップ昇格を果たす。

平井将生のJリーグ入り後

2006年にトップ昇格を果たすも、入団2年間は出場機会はなかった。

2008年4月27日第8節ヴィッセル神戸戦の後半35分に明神智和と交代でJリーグデビューを果たす。
同年7月2日ヤマザキナビスコカップ準々決勝の横浜Fマリノス戦では後半途中から出場し、公式戦初ゴールをマーク。
このゴールが決勝点となりベスト入りの引き金となった。
同年はリーグ戦8試合に出場、ACL、天皇杯にも出場し経験を積んだ。

2009年はチョジェジン、ルーカス、レアンドロ、ペドロジュニオールといっ強力な外国人FWがいたため、サテライトでの調整が続いた。
この年は第32節清水エスパルス戦での途中出場のみに留まった。

2010年、平井は覚醒する。
シーズン序盤にレギュラーを掴むと、宇佐美貴史とのコンビで得点を量産。
得点王争いに名を連ね、最終的にはリーグ戦30試合出場14得点を挙げ、得点ランキング5位(日本人2位)となった。
天皇杯でも4試合で2ゴールをマーク、ACLのグループリーグではハットトリックを記録するなど、ストライカーとして充実した1年になった。
シーズンオフの12月にはアジアカップ2011カタールの日本代表予備登録メンバーに選出されたが、本戦メンバーから惜しくも外れた。
これらの活躍を受け、平井はこの年のJリーグ優秀選手賞に選出された。

2011年はイ・グノ、アドリアーノ、ラフィーニャ、アフォンソといった外国人FWが先発に名を連ねたため出場機会が減少しリーグ戦21試合で5ゴールに留まった。

2012年は出場機会を求めてアルビレックス新潟へレンタル移籍。
序盤はFWの柱として起用されるも次第に出場機会が減少。ブルーノ・ロペスやミシェウが起用されるようになり後半戦は出場機会を失い、リーグ戦はノーゴールに終わった。

2013年はJ2に降格したガンバ大阪へ復帰。
途中出場が多かったがリーグ戦17試合に出場し4ゴールをマーク。ガンバは1年でのJ1復帰を果たした。

2014年はJ2アビスパ福岡へ移籍。
前線からの守備やゲームメイクなど、求められた仕事を忠実にこなしリーグ戦全試合となる42試合に出場し3ゴールをマーク。
翌年にはウェリントンの控えとなったがリーグ戦15試合に出場し、アビスパのJ1復帰に貢献した。

2016年は3シーズンぶりのJ1での戦いとなった。
同年5月25日ヤマザキナビスコカップのサガン鳥栖戦では後半40分にゴール前30M地点から同点となる豪快なミドルシュートを決め、貴重な勝ち点獲得の立役者となった。
リーグ戦では31試合で2ゴールに留まり、チームも1年でJ2降格となった。

2017年はJ3のギラヴァンツ北九州へ移籍。
負傷もあり北九州には2年間の在籍で2ゴールに終わった。
同年7月、JFLのFCマルヤス岡崎へ移籍。

元日本代表の茂庭照幸、元名古屋の杉本恵太らとともにベテランとしてチームを支える。
2019年はシーズンを通してレギュラーとして活躍し27試合で7ゴールをマークした。

2021年、14試合1ゴールでシーズンを終えると現役引退を表明した。16年間の現役生活に終止符を打った。

平井将生の引退後と現在

平井は引退後、指導者に転身。

岡崎市に『FRUOR(フルオール)サッカースクール』を開校。
愛知県岡崎市と大府市で指導を行っている。

16年間の現役生活の中で、2桁得点を記録したのは、平井が最も注目を集めた2010年シーズンのみだったが、現役晩年までプレースタイルは変わらず、貪欲にゴールを狙いにいく姿勢は「難波のアンリ」と呼ばれて騒がれたあの頃のままだった。

平井は引退後のインタビューでセカンドキャリアで日本一のFWを育てることが目標であると語っている。

選手として3年半在籍した岡崎市を拠点に、「難波のアンリ」は新たな目標に向かって歩み続けている。

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