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島田貴裕の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第394回】

ストロングスタイルのDFとして、ガンバ大阪で活躍した島田貴裕。

フィジカルコンタクトに優れ、対人プレーで強さを発揮。スキラッチやエバイールなどのワールドクラスの外国人にも屈せず、厳しいマンマークを仕掛けて攻撃を封じた。

跳躍力もあり、滞空時間の長いヘディングを武器にセットプレーでも強さを見せた。

島田貴裕のJリーグ入り前


島田は1965年に大阪府に生まれた。

小学校の時にサッカーを始め、浪花高校に進学。
高校では選手権への出場は叶わなかった。

浪花高校卒業後、大阪体育大学へ進学。同学年に武田亘弘(セレッソ大阪)がいる。

大学時代には屈強なセンターバックとして活躍。
全日本大学サッカー選手権大会や、総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントで優勝を経験した。

1987年、大学卒業後にガンバ大阪の前身であるJSL2部の松下電器産業サッカー部に入団する。

松下電器では入団1年目からレギュラーとして活躍。降格から1年でのJSL1部昇格に貢献した。

島田はその後も松下の守備の要として活躍。和田昌裕、山口正信、久高友雄永島昭浩美濃部直彦らとチームを支えた。

島田貴裕のJリーグ入り後

1993年にJリーグが開幕。
Jリーグ開幕元年は、同じストロングスタイルタイプの元中国代表の賈秀全が積極的に起用されたため、控えに回ることが多かった。

1994年は開幕戦のジェフユナイテッド市原から出場を続ける。ロシア代表のツベイバとのコンビでガンバのDFラインを形成するも、ガンバは年間順位10位に沈んだ。

サントリーシリーズ第22節のジェフ市原戦では、途中出場ながら、前線に駆け上がり、DFとGKの間に巧みに転がす技ありの先制ゴールを決め、3-0での勝利に貢献した。

1995年はレギュラーとしてシーズンを通して活躍。リーグ戦38試合に出場した。

1996年からは元ユーゴスラビア代表のバブンスキーや若手の宮本恒靖の台頭により出場機会が減少。

1997年のシーズンを持って現役を引退した。

島田貴裕の引退後と現在

島田は引退後、ガンバ大阪の下部組織の指導者に転身。

2018年からはユースの監督を務めている。

島田が、ガンバ大阪の下部組織で指導を始めて25年になる。

東口順昭、倉田秋、宇佐美貴史、昌子源、井手口陽介、堂安律、谷晃生など活躍している島田の教え子は数多い。

現役時代、ガンバ一筋で戦ってきた男は、世界で戦える選手を今後も大阪で育成し続ける。

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