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阿部敏之の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第442回】

正確な左足での長短のパスを武器に、司令塔として活躍した阿部敏之。

豊富な運動量と広い視野を持っている選手で、黄金期の鹿島アントラーズの中盤を支えた。

2000年にはJ2に降格した浦和レッズに移籍し、1年でのJ1復帰に大きく貢献。

現役引退後は指導者として活動する傍ら、フットゴルフの選手として世界を目指している。

阿部敏之のJリーグ入り前


阿部敏之は1974年に埼玉県浦和市に生まれた。

田島小学校入学後にサッカーを始め、田島サッカースポーツ少年団に入団する。

浦和市立田島中学校時代には全国中学校サッカー大会でベスト4に入る。
同学年に室井市衛(鹿島アントラーズ)、1学年下に内舘秀樹(浦和レッズ)がいた。

中学校卒業後、帝京高校へ進学。
同学年に松波正信(ガンバ大阪)、小峯隆幸(FC東京)、1学年上に清野乙彦(名古屋グランパスエイト)、2学年上に森下仁志(ガンバ大阪)、2学年下に熱田眞(京都パープルサンガ)がいる。

阿部は1年次から名門・帝京の司令塔として活躍。
背番号9を背負い、選手権に出場するも3回戦で笛真人(サンフレッチェ広島)、前園真聖(横浜フリューゲルス)らのいる鹿児島実業に0-1で敗れた。

高校2年次には背番号8を背負い、中央のパサーとしてプレー。
選手権では順当に勝ち進み、決勝で四日市中央工業と死闘を繰り広げ、2-2のまま決着つかず両校同時優勝となった。
阿部は大会優秀選手に選出され、同年、ユース日本代表にもされている。

高校3年次には4-4-2のトップ下としてプレー。
2連覇が期待された選手権では初戦の高松商業戦で5-0と大勝。阿部も2得点を奪う活躍を見せた。
しかし続く南宇和戦では0-2で敗れ、2連覇の夢は絶たれた。

高校卒業後、筑波大学へ進学。
同学年に若井研治(サンフレッチェ広島)、佐藤一樹(横浜フリューゲルス)、興津大三(清水エスパルス)、1学年上に上野優作(アビスパ福岡)、望月重良(名古屋グランパス)がいる。

1年次から活躍するも、鹿島アントラーズから誘いを受け、大学を2年で中退し入団する。

阿部敏之のJリーグ入り後

大学を中退して鹿島へ入団した阿部は、1995年6月17日第17節セレッソ大阪戦で古賀聡と交代でJリーグ初出場。
続く第18節横浜フリューゲルス戦では背番号10を背負い、初めての先発出場を果たした。
この年は入団1年目ながら層の厚い鹿島の中盤の中で存在感を示し、リーグ戦16試合に出場した。

しかし1996年は出場機会がなく、1997年3月には、ジーコが代表を務めるブラジルのリオ州3部CFZ・ド・リオへ鈴木隆行とともに半年間の留学を経験。

帰国後の1998年には途中出場が多いながらも、リーグ戦23試合に出場。
9月26日第8節京都パープルサンガ戦では待望のJリーグ初ゴールを決め、3-0での勝利に貢献した。
この年の年間優勝を決めるジュビロ磐田とのチャンピオンシップには2戦とも出場し、鹿島の年間優勝に貢献した。
阿部の精度の高い左足に注目したトルシエ監督により、1998年9月には日本代表候補にも選ばれた。

1999年も主力としてチームを支え、リーグ戦26試合に出場。
ヤマザキナビスコカップの決勝である柏レイソル戦では、勝ち越しゴールとなる直接フリーキックを鮮やかに決める活躍をみせた。
しかし終了間際に柏の渡辺毅に同点ゴールを決められると試合は2-2のままPK戦に突入。
阿部は1人目のキッカーとして登場し見事に決めるも、6人目の小笠原満男が外し、柏の萩村滋則に決められ、鹿島は準優勝となった。

2000年にはJ2へ降格した浦和レッズへ室井市衛とともに移籍。
開幕戦では浦和のシーズン初ゴールを決め、2-0での勝利に貢献。その後、小野伸二とともに浦和のパサーとして中盤のレギュラーとして活躍し、浦和の1年でのJ1復帰の原動力となった。

2002年には小野伸二が移籍したため、背番号8を背負うも、この年就任したオフト監督から起用されず、シーズン途中にベガルタ仙台へ移籍することとなった。

ベガルタ仙台では正確なパスを生かしてボランチとして活躍するも、度重なる怪我のために出場機会は少なかった。

2004年にはアルビレックス新潟へ移籍するも、出場機会はなく1年で戦力外通告を受けた。

その後、古巣の鹿島アントラーズの宮崎キャンプに参加し、テスト生として加入。
中田浩二が抜けたボランチを埋める存在として半年契約でチームに復帰しリーグ戦8試合に出場した。
シーズン終了後、鹿島との契約が満了しこの年をもって現役を引退した。

阿部敏之の引退後と現在

阿部敏之は引退後、指導者として活躍。

アヴェントゥーラ埼玉や明治学院大学のコーチを経て、2013年には名古屋経済大学サッカー部の監督に就任した。

その後、2019年には、神奈川県社会人リーグのはやぶさイレブンの監督に就任。

また、阿部はフットゴルフの選手としても活躍。

フットゴルフとは、その名の通りサッカーとゴルフを融合したスポーツ。欧米を中心に既に40カ国以上で楽しまれており、急速に普及しているスポーツだ。

フットゴルフは体力や経験に大きく左右されず、女性や子供でも気軽に参加出来て楽しめるのが大きな特徴で、2022年には東京ヴェルディが総合クラブ化の一環として「東京ヴェルディフットゴルフ」を設立し、フットゴルフ界に参入することを発表するなど、プロサッカー選手のセカンドキャリアとして注目を集めている。

阿部は2018年から競技を始め、2018年12月に第3回ワールドカップモロッコ大会に参加した。2023年に米国で開催される第4回ワールドカップ日本代表にも選出されている。

現役時代、正確な左足でのキックに定評があった阿部敏之。元Jリーガー選手である阿部が活躍することにより、フットゴルフが世間に認知され、競技人口が増えるのは必至だ。

フットゴルフの秘めた大きな可能性を広げるため、魔法の左足を持った男の新たな挑戦が始まっている。

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