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石原直樹の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第471回】

DFの背後を狙うポジショニングの良さや、ボールの落下点を読む能力に秀でており、ワンタッチでゴールを決める機会が多いストライカー石原直樹。

身長173センチながらも空中戦に強く、ヘディングでのゴールも多い。

湘南ベルマーレ時代はJ2で得点ランキング3位、サンフレッチェ広島時代は2年連続で二桁得点を記録するなど点取り屋としての印象も強いが、豊富な運動量を生かした前線からの激しいプレスも石原の代名詞である。

石原直樹のJリーグ入り前


石原は1984年に群馬県高崎市に生まれた。

高崎市立乗附小学校入学後、7歳の時にサッカーを始め、その後に高崎西FCに所属する。

高崎市立片岡中学校卒業後、高崎経済大学附属高等学校へ進学。
小学校時代から一貫してFWでプレー。
高校2年次から2年連続で関東選抜に選出。
高校3年次には群馬県選抜として国体に出場した。
しかし前橋育英や前橋商業などが立ち塞がったため、選手権やインターハイなどの出場は叶わなかった。

全国的には無名の存在だったが、身体能力の高さを評価され、湘南ベルマーレへ入団する。
同期入団に石田祐樹、照井篤がいる。

石原直樹のJリーグ入り後

2003年3月15日開幕戦モンテディオ山形との試合で途中交代でデビューを果たすと、入団1年目ながら、DFの背後を常に狙うポジショニングの良さが評価され多くの出場機会を得る。
同年9月20日第34節アルビレックス新潟戦で途中交代からJリーグ初ゴールを奪うと、第36節コンサドーレ札幌戦でも途中出場から5分後に鮮やかなシュートを決め自身2点目をマーク。
その後はスタメンで起用される機会が増え、このシーズンはリーグ戦17試合に出場した。

2004年は監督のの交代やFC東京からアマラオの加入もあり、出場機会が激減。
リーグ戦3試合ノーゴールに終わる。

2005年も序盤はベンチ外の日々が続くが、シーズン終盤は起用されるようになる。
しかし腓骨を骨折し全治3ヶ月の重傷を負ったため、リーグ戦8試合の出場に留まった。

2006年、菅野将晃が監督に就任すると、石原の豊富な運動量を生かした前線からの守備が重宝され、レギュラーに定着。
得点力にも磨きがかかり、リーグ戦29試合で9ゴールを挙げる。

2007年は背番号を11に変更。
湘南のエースとしてシーズンを通して活躍し、リーグ戦45試合の出場でチーム最多の12ゴールを挙げる。
チーム順位も昨年の11位から6位に上昇した。

2008年は更に得点数を伸ばし、リーグ戦41試合で18ゴールを決める。
得点ランキングも佐藤寿人の28ゴール、高橋泰の19ゴールに次ぐ第3位に藤田祥史とともにランクインされた。
このシーズンを持って、石原を先発で起用し続けた菅野将晃が監督を退任。
石原はJ1の複数クラブからオファーを受け、大宮アルディージャへ移籍することになった。

大宮では、同時期に加入した藤田祥史やラファエルとのコンビで得点を積み重ねる。
自身初めてのJ1だったがリーグ戦32試合の出場で7ゴールを決める。

2010年はチームトップの得点率の高さと決定力が評価され、スーパーサブとしての起用も増えたが、リーグ戦33試合で9ゴールをマークしチーム得点王となる。

2011年も前年に引き続き、スーパーサブとしての起用が多かったもののリーグ戦25試合で4ゴールを決めた。

2012年にはサンフレッチェ広島へ移籍。
広島では森保一監督のもとで、すぐに戦術にフィットする。
エース佐藤寿人の後方で、髙萩洋次郎とともに2シャドーのポジションでプレーし、加入初年度にリーグ戦7ゴールを決め、広島の優勝に貢献。
この1トップ2シャドーの戦術がはまり、2013年も広島はリーグ戦を制覇。
石原の前線からのハードワークは広島にとって大きな武器となった。
同年7月31日の第18節大宮アルディージャ戦ではハットトリックを達成。2013年から2年連続で二桁ゴールをマークした。

2014年4月には日本代表候補のトレーニングキャンプに初招集される。
川崎フロンターレの小林悠が負傷したための追加招集だった。29歳での初招集からの同年開催されるブラジルワールドカップへのサプライズ選出も期待されたが、代表に定着することは叶わなかった。

2015年は浦和レッズに移籍。
センターFWやシャドーのポジションでの起用が見込まれたが第5節川崎フロンターレ戦にて右膝前十字靭帯を損傷。
長期欠場となり、浦和では2年間の在籍でリーグ戦10試合無得点という不本意な成績に終わった。

2017年はJ1ベガルタ仙台へ移籍。
渡邉晋監督のもとで開幕戦から起用されると初戦のホームでの北海道コンサドーレ札幌戦で、チームのシーズン初ゴールをマークして勝利すると、サポーターの心を掴む。
その後も3年目の西村拓真や長崎へのレンタル移籍から復帰した奥埜博亮とのコンビで活躍。
加入初年度ながらリーグ戦31試合で10ゴールをマークした。

2018年はリーグ戦全試合に出場し7ゴールをマーク。
前線の起点になり、阿部拓馬や野津田岳人とともに豊富な運動量で攻撃を牽引した。

2019年はリーグ戦20試合に出場したが1ゴールに終わり、シーズン終了後に12年ぶりとなる古巣の湘南ベルマーレへの復帰を発表した。

2020年はノルウェー代表のタリクとのコンビで活躍するも、チームは年間6勝に留まる。
新型コロナウイルス拡大の影響でJ2への降格なしのシーズンとなったが、ベルマーレは最下位に沈んだ。

2021年は途中交代での出場がメインとなったが、ベテランとしてチームを鼓舞し、リーグ戦18試合に出場。
得点はなかったが持ち前のハードワークで支え、チームを残留に導くとこの年限りで現役を引退した。

石原直樹の引退後と現在

石原は引退後、ベルマーレアンバサダーに就任。
指導者としてのキャリアもスタートさせ、湘南ベルマーレU-15のコーチとして活動している。

石原は、湘南でキャリアをスタートさせ、その後に大宮、広島、浦和、仙台、そしてまた湘南と数多くのクラブを渡り歩いた。

じん帯損傷の大怪我を負った浦和を除いて、所属した全チームで数多くのゴールを決めることが出来たのは、彼のハードワークを惜しまないプレースタイルがあってのものだろう。

本来は得点にこだわる性分ながら、前線からの激しい守備や、起点として潰され役としての仕事もきっちりとこなす。
そういったパートナーを選ばない献身的なプレースタイルが、結果として多くの得点を生むことに繋がった。

得点王やベストイレブンに選出されることはなかったが、Jリーグ通算467試合出場で112ゴールは、ストライカーとして立派な数字だ。
記録には残らないが、石原のハードワークで勝利を掴んだ試合は数多い。

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