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秋元陽太の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第472回】

最後方から的確な指示を出し、味方を動かすコーチングに定評のあるGK秋元陽太。

182cm84kgとGKとしては小柄ながら、優れた反射神経と強靭なフィジカルを武器に活躍。

ユースから昇格したマリノスでは出場機会に恵まれなかったが、愛媛、湘南、FC東京、町田では正GKとして活躍。

湘南では2度のJ2優勝時の守護神として君臨し、ルヴァンカップでも優勝を達成した。

秋元陽太のJリーグ入り前


秋元は1987年に東京都町田市に生まれた。

幼稚園の時にサッカーを始め、町田市立南大谷小学校入学後にCYDフットボールクラブに入団する。幼馴染に太田宏介がいる。
小学校2年生の時にコーチからの勧めでGKをやり始め、6年生の時に東京都選抜に選出された。

町田市立南大谷中学校進学後、以前から誘いを受けていた横浜F・マリノスジュニアユース菅田へ入団。
同期に奈良輪雄太、藤川祐司、ハウバート・ダンがいる。
1年先輩に中林洋次がいたため、中学3年までAチームでの出場はなかった。

野津田高等学校進学後、横浜F・マリノスユースへ昇格。
同期にハーフナー・マイク、加藤健太、奈良輪雄太、藤川祐司、三浦旭人らがいる。
1学年上に天野貴史、飯倉大樹がいた。

高校1年次の時は飯倉大樹が正GKを務めていたため、控えに回ることが多かったが、高校2年次のユースカップで負傷した飯倉の代わりに出場機会を得る。
高校3年次には正GKとして活躍。
クラブユースで準優勝、Jユースカップで3位に入り、プリンスリーグでは優勝を飾った。

また、ジュニアユース時代から年代別日本代表に選出される。
U-16日本代表として豊田国際ユースサッカー大会で優勝し、U-17日本代表ではサニックス杯国際ユースサッカー大会で準優勝となった。
高校3年次にはU-18日本代表として数々の大会に出場。AFCユース選手権2006ではグループリーグ1位突破に貢献した。

高校卒業後、マリノスのトップチームに昇格する。

秋元陽太のJリーグ入り後

2006年にマリノスに入団するも、GKには榎本達也、榎本哲也、下川健一といった面々がいたため、ベンチ入りができない日々が続いた。
また、同年に前十字じん帯を断裂する大怪我を追い、長期欠場を余儀なくされた。

入団3年目の2008年7月13日第16節アルビレックス新潟戦でJリーグデビューを飾る前半40分に千代反田充にゴールを決められ0-1で敗れている。
続く第17節ヴィッセル神戸戦、第18節鹿島アントラーズ戦に先発するもリーグ戦5連敗を喫し、翌試合から榎本哲也が起用されるようになった。

その後マリノスには2011年まで在籍するも、飯倉大樹が起用されたため出場機会は少なく同年限りでジュアユースから所属したマリノスを退団することになった。

2012年はJ2愛媛FCへ移籍。
川北裕介や萩原達郎といったライバルとの熾烈なポジション争いを制し、リーグ戦42試合に出場。
2013年もリーグ戦41試合に出場し、守護神として活躍した。

この活躍を受け。2014年はJ2湘南ベルマーレへ移籍。
開幕戦のモンテディオ山形戦から出場を続け、安定したセービングで勝利に貢献。
開幕から14連勝を飾るなど圧倒的な強さを見せ、湘南の優勝の立役者となった。

2015年は背番号1を背負い、正GKとして安定した活躍を見せ、リーグ戦8位となる。

2016年は数々のクラブからオファーを受け、FC東京へ移籍。
城福浩監督のもとで正GKとして活躍。リーグ戦全試合に出場し、ヴァンフォーレ甲府の田中佑昌とともにこの年のフェアプレー個人賞を受賞した。
また、この年自身初のACLへ出場した。

2017年は古巣の湘南ベルマーレへ移籍。
曺貴裁監督のもとで開幕から不動のレギュラーとして活躍。
最後方からチームを支え、この年のJ2優勝とJ1昇格に貢献した。

2018年にはリーグ戦全試合に出場。ルヴァンカップでも優勝を達成するなど充実したシーズンとなった。

2020年はFC町田ゼルビアへレンタル移籍。
開幕から守護神として活躍するも11月以降は入団3年目の福井光輝にポジションを奪われ、控えに回るようになった。

2021年はJ2愛媛FCへ移籍。9年ぶりの復帰となった。
実績を評価され、開幕からゴールマウスを守るも、左膝骨軟骨損傷の影響でシーズン中盤からは戦列を離れ、リーグ戦は序盤の20試合の出場に留まった。
同年オフに34歳での現役引退を発表。

秋元陽太の引退後と現在

秋元は引退後、『秋元陽太ゴールキーパークリニック』を開催するなど、小学生から中学生年代の指導を各地で行っている。

今後はジュアユース年代の指導者として活躍することが期待されている。

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