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永田充の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第473回】

クレバーな守備と空中戦の強さを持った最終ラインのバランサー永田充。

正確なロングフィードが持ち味で、最後方から攻撃の起点になることが出来る。

10代から年代別代表に選出され、U-20日本代表としてFIFAワールドユース選手権に出場し、若干20歳で日本代表に招集され注目を集める。

将来を嘱望された永田だったが、その後は短期間でじん帯を2度断裂するなど、選手生命の危機を経験する。

しかし永田は戻ってきた。

懸命なリハビリの末にアルビレックス新潟で不動のセンターバックとして活躍すると、浦和レッズ移籍後は2年連続でリーグ戦全試合に出場し、日本代表に7年ぶりに招集され初出場を果たした。

永田充のJリーグ入り前


永田は1983年に静岡県清水市(現静岡市)に生まれた。

4歳の時にサッカーコーチをしていた父親の影響でサッカーを始め、清水市立高部小学校入学後は、清水市の選抜チームである清水FCに選出される。

清水市立第六中学校進学後は、サッカー部に入る予定だったが周囲の勧めで清水エスパルスジュアユースのセレクションを受け合格。

しかしユースへは昇格できず、静岡学園へ進学。
高校の1学年上に櫻田和樹(ザスパクサツ群馬)、1学年下に谷澤達也(柏レイソル)、安藤淳(京都サンガFC)がいる。

永田は高校1年からDFのレギュラーを掴む。
1年次に全国サッカー選手権でベスト8に進出するも、青木剛や松下裕樹のいる前橋育英に惜敗した。
2年次の選手権は県大会で敗退するも、3年次には再び選手権に出場。
キャプテンとしてチームを牽引し、ベスト8進出を果たした。

また高校2年次から年代別日本代表に選出される。
高校3年次には静岡県選抜として国体に出場した。

高校在学中に清水エスパルスや柏レイソルなどからオファーを受ける。
その中でも憧れの選手であった韓国代表DFの洪明甫のいる柏レイソルへの入団を決意する。同期入団に宇野沢祐次、近藤直也がいる。

永田充のJリーグ入り後

2002年9月18日2ndステージ第4節浦和レッズ戦で、延長前半に田ノ上信也と交代でJリーグデビューを果たす。
この年は高卒1年目ながらリーグ戦6試合に出場した。
また同年開催されたAFCユース選手権2002に出場し主力として活躍。日本の準優勝に貢献し永田はベストイレブンに選出された。

2003年には柏でレギュラーを掴み、センターバックとして守備を支える。
同年開催されたFIFAワールドユース選手権では3バックの一角として活躍。
グループリーグのイングランド戦、コロンビア戦は角田誠、菊地直哉、近藤直也が起用されたため出場機会はなかったが、エジプト戦から出場。
決勝トーナメントの韓国戦ではフル出場しベスト8進出に貢献。
ベスト4をかけたブラジル戦では後半から出場したが1-5で大敗した。
またこの活躍を受け、同年11月にジーコにより日本代表に初選出されるが出場機会はなかった。

順調にキャリアを積んでいたプロ4年目の2005年3月19日のナビスコ杯のFC東京戦でじん帯断裂の大怪我を追い、戦線を離脱。
守備のキーマンを失った柏はJ2に降格することになった。

2006年はJ1アルビレックス新潟へ移籍。
しかし入団間もなくまたもやじん帯を断裂するという不運に見舞われ、加入1年目は公式戦への出場はなかった。
短期間での2度の断裂により、サッカーを続けるのを諦めかけるが懸命のリハビリの末、2007年に復帰。
大型CB千代反田充との強力なコンビで新潟の堅守を支えた。

2010年にはリーグ戦全試合に出場。
同年、念願の日本代表に招集され、9月7日のキリンカップ・グアテマラ戦で代表デビューを果たした。

2011年には浦和レッズへ移籍。
スピラノビッチとのコンビで活躍し2年連続でリーグ戦全試合に出場。
同年1月にはザッケローニ監督に招集され、日本代表としてアジアカップのカタール戦に出場し3-2での勝利に貢献するが、以降は出場は無くこれが最後の代表戦となった。

2012年はペトロヴィッチ監督のもとで第2節柏レイソル戦から不動のレギュラーとして活躍。
槙野智章、坪井慶介とリーグ屈指の3バックを形成した。

しかし2013年以降は左太腿裏や慢性的な膝の負傷により出場機会が減少。
2015年1stステージ、2016年2ndステージで浦和は優勝を果たすも、ほとんど出場機会は得られなかった。

2017年はJ2東京ヴェルディへ移籍。
ロティーナ監督のもとで後ろから攻撃を組み立てる戦術の中心として開幕の徳島ヴォルティス戦から出場する。
井林章、平智広と3バックを形成するも古傷の再発や、畠中槙之輔の台頭もありシーズン中盤からは出場機会を失った。

2018年はリーグ戦の出場機会はなく、天皇杯3試合のみの出場に留まり、この年限りでヴェルディを退団。

2019年は関東1部リーグの東京ユナイテッドFCへ移籍。
リーグ戦7試合に出場した。
その後は所属先を探して栃木SCの練習に参加をするも契約には至らず、2020年に現役を引退した。

永田充の引退後と現在

永田は引退後、父親の助言もあり、浦和レッズや東京ユナイテッドでスポンサーをやっていた文化シャッター株式会社へ転職。

現在は栃木県に居住し、会社員として忙しい毎日を送っている。

度重なる怪我に悩まされ、順風満帆とはいえなかった現役生活だった。

しかし現役17年のプロ生活でJリーグ通算282試合出場は立派な数字だ。

永田ほどのキャリアを持った選手がサッカーとは関係のないステージで0からのスタートを切るのは大変なことだと思う。

現在シャッター業界で2位のシェアを持つ文化シャッターだが、将来の目標として1位を目指したいと語る永田。

現役時代、幾度となく訪れた試練から這い上がってきた男の新たな戦いが始まっている。

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