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坪井慶介の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第470回】

瞬発的なスピード力と的確なポジショニングを武器に浦和レッズの黄金期を支えたDF坪井慶介。

危機察知能力が高く、爆発的なスピードを生かしたカバーリングはリーグ屈指のレベルを誇った。

浦和レッズ入団後は、ルーキーイヤーに新人王とフェアプレー個人賞のダブルタイトルを受賞。その後も数々のタイトルをチームにもたらせた。

日本代表としても40試合に出場。2006年には3バックの一角としてワールドカップに出場した。

坪井慶介のJリーグ入り前


坪井は1979年に東京都多摩市に生まれた。

幼い頃は野球少年であったが、小学校3年生の時に当時住んでいた団地の近所にサッカーのコーチが住んでおり。そのコーチの誘いで地元の鶴牧サッカークラブに入団する。
小学校時代は多摩市選抜に選出されている。

中学1年まで鶴牧サッカークラブで学び、その後は町田市にある東京小山FCへ入団した。

その後、中学2年生の時に両親の実家のある岐阜県に転居し、中津川市立付知中学校に転向。サッカー部に所属する。

中学校卒業後、親元を離れ、名門の三重県立四日市中央工業高等学校へ進学。
同学年に野嶋良(カターレ富山)、1学年上に鈴村拓也(ヴィッセル神戸)、関本恒一(サガン鳥栖)がいる。

高校時代は1年次の夏過ぎから試合に出場するようにはなったものの、1、2年次は全国大会への出場はなかった。
高校3年次の選手権は県予選の決勝で敗れるが、自身初めての全国大会であるインターハイに出場。しかし初戦で登別大谷にPK戦の末に敗れている。

高校卒業後は大学進学を考え、法政大学のセレクションを受けるが不合格となる。
その後、サッカー部の監督の紹介で福岡大学の練習に参加し、将来性を見込まれ、推薦枠で入学。

福岡大学の同学年に太田恵介(アビスパ福岡)、1学年上に吉本岳史(名古屋グランパス)、2学年上に黒部光昭(京都パープルサンガ)がいる。

高校時代は無名の存在であった坪井だったが、1年次からレギュラーを掴む。当時のポジションはボランチだった。
大学3年次に全日本大学選抜に選出され、海外遠征に参加した。
その後、ユニバーシアード日本代表に選出され、センターバックとして活躍。
背番号4を背負い、4バックの真ん中としてDFラインを支え、北京大会に出場。日本の優勝に貢献した。

大学卒業後、数クラブからオファーがあった中で、浦和レッズに入団する。
同期入団に長谷部誠、平川忠亮、三上卓哉、堀之内聖、山根伸泉、東海林彬、小林陽介、南祐三、徳重健太がいる。

坪井慶介のJリーグ入り後

入団1年目の2002年、オフト監督により開幕戦から起用される。
元日本代表の井原正巳や、内舘秀樹とともに3バックの一角としてリーグ戦全試合に出場。
同年のJリーグ新人王とフェアプレー個人賞のダブルタイトルを受賞した。

2003年も持ち前のスピードとカバーリング能力の高さを生かし、DFの中心として活躍。
Jリーグカップのタイトル獲得に貢献し、リーグ戦は2年連続で全試合出場を果たしこの年のベストイレブンに選出された。
同年5月17日のガンバ大阪戦では自身のリーグ戦唯一となる得点も記録した。
また、同年に日本代表に招集。6月11日のパラグアイ戦で初キャップを記録し、その後もコンスタントに出場した。

2004年も開幕戦から不動のレギュラーとして活躍するも、同年7月9日のスロバキア代表との試合で左ハムストリングを負傷し田中誠と交代。
手術を行った影響で以降のシーズンは欠場することになった。

2005年は第2節川崎フロンターレ戦から復帰し、以降はレギュラーに返り咲く。
2006年はドイツワールドカップの日本代表に選出され、宮本恒靖、中澤佑二とともに3バックを形成。
グループリーグ初戦のオーストラリア戦では奮闘するも足をつるアクシデントがあり、途中交代。
クロアチア戦は欠場しブラジル戦で復帰するも1-4で敗れグループリーグで敗退した。

2007年も浦和の守備の中心として存在感を発揮し、ACL制覇に貢献した。
日本代表としても、イビチャ・オシム監督によりキリンカップ・モンテネグロ代表との試合に出場。
同年のアジアカップにも召集されるも出場機会はなく、以降代表での出場はなかった。

2008年は負傷の影響もありリーグ戦21試合の出場に留まるも、2009年は田中マルクス闘莉王とのコンビでレギュラーに復帰。リーグ戦29試合に出場した。

2010年はスタメンを外れることもあったが、最終的にはリーグ戦31試合に出場。
しかし2011年はスピラノビッチや永田充の加入で出場機会を失い、リーグ戦5試合の出場に留まった。

2012年は右ストッパーの不動のレギュラーとして完全復帰を果たすと、33歳という年齢ながらリーグ戦31試合に出場。

2013年は広島から加入した森脇良太が起用されるようになると出場機会が減少。リーグ戦7試合の出場に留まった。

2014年はリーグ戦1試合の出場に終わると、2015年シーズンからは湘南ベルマーレへ移籍した。

湘南では曹貴裁監督のもとでDFリーダーとして期待される。
負傷の影響もあり、出場機会は多くなかったが3年間の在籍でリーグ戦28試合に出場。
2016年にはJ2降格を味わうも、在籍最終年の2017年はJ2優勝を果たした。

2018年は39歳という年齢でJ2レノファ山口へ移籍。
山口では経験豊富なベテランとしてチームを支え、若手の見本となった。

2019年シーズン終了後、18年間の現役生活に別れを告げた。

坪井慶介の引退後と現在

坪井は引退後、解説者やタレントして活躍。

特にDAZNでは毎週のように坪井の姿を見ることが出来る。

2020年には日本代表経験者だけでも内田篤人、中村憲剛、曽ケ端準、近藤直也、大黒将志、佐藤寿人といった選手が引退。
2021年には阿部勇樹、大久保嘉人。2022年には中村俊輔、槙野智章、鄭大世(チョンテセ)、安田理大、田中隼磨、橋本英郎、駒野友一といった名のある選手が引退をしている。

サッカーに11人という人数制限があるように、当然のことながら解説者や元サッカー選手としてのタレントにも「枠」というものがある。
その枠を勝ち取るのは、現役時代よりずっとシビアなものなのかもしれない。

そんな中でもコンスタントに出演を続けるのは坪井慶介の人柄があってのものなのだろう。

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