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林陵平の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第474回】

長身を生かしたダイナミックなプレーが魅力のセンターフォワード林陵平。

高い得点能力だけでなく懐の深いポストプレーで味方を生かすことも出来る。

明治大学卒業後、1年目から東京ヴェルディでストライカーとして活躍。

海外サッカー通として知られ、大物選手のパフォーマンスを真似たゴールセレブレーションはファンの注目を集めた。

その後は柏、山形、水戸、町田、群馬と渡り歩き、リーグ通算300試合で64ゴールを叩き出した。

林陵平のJリーグ入り前


林は1986年に東京都八王子市へ生まれた。

3歳の時にサッカーを始め、八王子市立清水小学校1年生の時に、地元の清水北フットボールクラブに兄と共に入団した。

並行してヴェルディのスクールにも通い、コーチから入団を打診され、小学校4年生の時にヴェルディジュニアに加入した。

八王子市立甲ノ原中学校進学後は、ヴェルディジュニアユースへ昇格。
同期に須藤右介、塗師亮がいる。
当時の林は身体が小さく、フィジカル面での問題を抱えており出場機会も少なかった。
しかしジュアユースの監督である菊原志郎から将来性を評価され、ユースへの昇格を決める。

工学院大学付属高校へ進学後、ヴェルディユースでプレー。
同期に須藤右介、塗師亮、宇佐美潤、富田晋伍がいる。
高校入学後に身長が急激に伸び、フォワードとして才能が開花。
Jユースカップやプリンスリーグで活躍し、Jリーグのサテライトリーグにも出場し得点を重ねた。

しかしトップ昇格は叶わず、明治大学へ進学。
同学年に橋本晃司(名古屋グランパス)、藤田優人(東京ヴェルディ)、長友佑都(FC東京)、杉本裕之(ザスパ草津)がいる。

大学2年次にレギュラーを獲得し、大学3年次に同校の43年振りとなる関東リーグ優勝に貢献。
この大会で渡邉千真(横浜F・マリノス)と得点王争いを演じる。この活躍を受け大学選抜に選出された。
同年、横浜FCに特別指定選手として登録される。

大学4年次に数チームからオファーがあった中で、高校まで過ごしたヴェルディへの入団を決意する。
同期入団に藤田優人、富所悠、和田拓也、那須川将大がいる。

林陵平のJリーグ入り後

入団1年目の2009年3月25日第4節水戸ホーリーホック戦で大黒将志と交代で出場しJリーグデビューを果たす。
この年のFWは大黒将志、船越優蔵平本一樹飯尾一慶などた在籍していたが、高木琢也監督によりシーズンを通して起用されリーグ戦32試合で6ゴールを決めた。

2010年はヴェルディの資金難によって放出されJ2柏レイソルへ移籍。
シーズン中盤から北嶋秀朗とのコンビで得点を量産。リーグ戦24試合で10ゴールを決め、柏レイソルのJ2優勝とJ1昇格に貢献した。

しかしJ1昇格後は出場機会が減少し、2012年シーズン途中に出場機会を求めてモンテディオ山形へ移籍。
2013年はチーム得点王となるリーグ戦12ゴールをマーク。山形に欠かせない戦力として活躍するも、シーズン終盤に左膝前十字じん帯を損傷し長期離脱となった。

2014年4月には怪我から復帰。リーグ戦は3試合の出場に留まるも昇格をかけたプレーオフ決勝のジェフ千葉戦では1トップでスタメン出場。
前線で奮闘し、山形の4年ぶりのJ1復帰に貢献した。

2015年は前線のキーマンとして活躍するも、山形は年間4勝しか挙げられず、1年でJ2へ降格。
移籍が噂される中で山形への残留を表明した。

2016年は7月に右膝内側のじん帯損傷により離脱するも得点だけでなく、前線からの守備でもチームに貢献。
リーグ戦30試合で6ゴールをマークした。

2017年は水戸ホーリーホックへ移籍し開幕戦から出場。
前田大然との2トップで攻撃を牽引し、チーム得点王となる14ゴールをマーク。
この年、前田大然も自身初の二桁得点となる13ゴールを決めている。

2018年は東京ヴェルディへ移籍。9年ぶりの古巣復帰となった。
シーズン序盤はアラン・ピニェイロ、ドウグラス・ヴィエイラがスタメンで出場するもじょじょに出場機会を掴む。
リーグ戦で7ゴールを決め、ヴェルディのプレーオフ進出に貢献。
プレーオフでも全試合にスタメン出場するも、決定戦のジュビロ磐田に0-2で敗れ、悲願のJ1昇格は果たせなかった。

2019年も第3節ツエーゲン金沢戦で2ゴールを決めるなど、好調をキープするが次第に出場機会が減少。
シーズン途中で、リーグ戦27試合25得点と深刻な得点力不足に陥っていた町田ゼルビアへレンタル移籍した。
しかし町田では出場機会が少なく、リーグ戦4試合で無得点に終わる。

2020年はヴェルディへ復帰するも、怪我の影響で出遅れる。
開幕して間もなく、ザスパクサツ群馬からオファーを受け、レンタル移籍をすることになった。

群馬では大前元紀と息の合ったプレーを見せ、ベテランとしてチームを牽引。
第37節町田ゼルビア戦、第41節ファジアーノ岡山戦と終盤にゴールを決めるがこの年はリーグ戦36試合で2ゴールに留まった。
2020年シーズン終了後、現役引退を表明した。

林陵平の引退後と現在

林は引退後、指導者としてのキャリアをスタートさせる。
2021年1月に東京大学運動会ア式蹴球部の監督に就任した。

指導の他にも、海外サッカーに精通した知識を生かして解説者としても活躍している。

2009年、林陵平がヴェルディでJリーガーとなった年、私は林陵平のプレーを見て、将来のヴェルディのエースになる選手だと確信を得ていた。

デビュー当時の林はゴールを決めたくて仕方ないというストライカーが醸し出す独特の空気を漂わせていた。
スタメンが定まらず、監督もシーズン途中に交代するという苦しいチーム状況の中、大卒1年目で6ゴールを決めた林陵平は、ヴェルディにとって僅かな希望であったのは間違いない。

しかし、胸スポンサーすら入らず、経営難にあった当時のヴェルディを救う存在であったはずの林はヴェルディをたった1年で離れることになった。
「将来のヴェルディ」を支えるであろう若者は「現在のヴェルディ」を支えるためにチームを出ざるをえなかったのだ。

翌年、移籍した柏レイソルでゴールを量産し、J1昇格を果たした林の活躍を見て、もし2年目のシーズンをヴェルディで過ごしていたらと考えたヴェルディファンは多いだろう。

歓喜の中で緑のユニフォームを着た林陵平のゴールセレブレーションを見たかったヴェルディサポーターは多かったはずだ。

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