DF

福元洋平の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第443回】

空中戦に強く、正確なロングフィードが持ち味のセンターバック福元洋平。

苦しい時ほどチームを鼓舞し、持ち前の統率力でチームをまとめる能力がある。

そのキャプテンシーは中学時代から注目され、U14日本代表に選出されると、その後も年代別代表と活躍。

U20日本代表では、『調子乗り世代』のキャプテンとしてFIFA U-20ワールドカップに出場し、日本の決勝トーナメント進出に貢献した。

福元洋平のJリーグ入り前


福本は1987年に大分県大分市に生まれた。

生まれて間もなく神奈川県に転居し、幼稚園の時に少年サッカーの監督を務める父親の影響でサッカーを始める。

小学校の時に大分県に転居し、明野西JFCに所属する。

大分市立明野中学校進学後、大分トリニータU-15に所属。吉武博文監督の元でサッカーを学んだ。
この頃から福元は年代別日本代表の常連となる。

大分高等学校進学後、大分トリニータU-18へ昇格。
同期に梶原公(大分トリニータ)、中村祐哉(京都サンガ)、三好洋央(ブラウブリッツ秋田)らがいる。

高校3年次、トップチームの練習に帯同するようになると2005年9月10日第23節浦和レッズ戦でJリーグデビューを果たした。
その後も、リーグ戦7試合に出場し経験を積んだ。

2006年、高校卒業後にトップチームに昇格する。同期入団に高橋大輔、森重真人、梶原公がいる。

福元洋平のJリーグ入り後

トップチーム昇格後、1年目はリーグ戦14試合に出場。
U19日本代表に選出されるとキャプテンを務め、内田篤人、香川真司、槙野智章、ハーフナー・マイク、森重真人らとともにAFCユース選手権へ出場し、準優勝に貢献した。

2007年にはU20日本代表としてポルトガルやフランスへの遠征に参加。
強烈なポテンシャルを秘め、派手なゴールパフォーマンスや個性的なキャラが目立つメンバーが多く在籍していたため、この年代の代表は『調子乗り世代』と世間に呼ばれるようになった。

福元は、この『調子乗り世代』をまとめるキャプテンとして世間から注目を集めるようになる。
FIFA U-20ワールドカップではグループリーグ全試合に出場し、予選突破に貢献。
決勝トーナメント初戦ではチェコと対戦。内田篤人、安田理大、槙野智章と4バックを形成し、槙野智章と森島康仁のゴールで2-0とするも、その後2点を失い、延長戦に突入。
試合は決着がつかずPK戦に入るも安田理大、森島康仁が外し、ベスト16で姿を消すことになった。

大分では、同期入団の森重真人がセンターバックで起用されるようになったため、出場機会が減少。
年代別代表ではレギュラーだが、クラブチームではサブという経験を味わうことになる。
2007年シーズン終了後、オファーを受けていたガンバ大阪へレンタル移籍を決断するも、層の厚いガンバではリーグ戦5試合の出場に留まった。

2009年にはジェフ千葉へレンタル移籍。
開幕戦からベンチ入りを続けるも、なかなか出場機会がなかったがシーズン中盤にはレギュラーに定着。
エディ・ボスナーとともにセンターバックを務めるも、チームの歯車がかみ合わず、ジェフは第17節から15戦未勝利という状態に陥る。
その後も浮上することは出来ず、リーグ戦を最下位で終えることになり、ジェフはクラブ初のJ2降格となった。

2010年はジェフへ完全移籍を果たし、ジェフは1年でのJ1復帰を目指す。
ジェフは、ジュビロ磐田からMF村井慎二とDF茶野隆行、京都サンガからFW林丈統とMF佐藤勇人を獲得するなど、充実した戦力補強を行った。
福元自身はリーグ戦19試合に出場したが、最終順位は4位で昇格はならなかった。

2012年には出場機会を求めて徳島ヴォルティスへ移籍。
エリゼウとコンビを組み、センターバックとしてプレー。

2013年には小林伸二監督の元でセンターバックとして活躍。
持ち前の統率力でチームを鼓舞し、徳島のJ1昇格に貢献した。

2014年はJ1開幕戦のサガン鳥栖戦で0-5で大敗すると、その後も波に乗れず開幕9連敗を喫するなど下位に沈む。
福元はリーグ戦26試合に出場するも、結果は残せず、徳島は残り5節を残して1年でのJ2降格が確定した。

2015年6月14日のJ2第18節カマタマーレ讃岐戦では、プロ入り初となるゴールをマークした。

2017年にはレノファ山口に移籍。
副キャプテンに就任し、リーグ戦22試合に出場。
翌年は右外側半月板損傷の影響でリーグ戦1試合の出場に留まるとこの年をもって山口を退団した。

2019年はJFLのヴェルスパ大分へ移籍。
リーグ戦1試合に出場し、このシーズンを持って退団。福元は14年間の現役生活を終えた。

福元洋平の引退後と現在

福元は引退後、会社員としてセカンドキャリアをスタート。

広告会社である株式会社OFF THE BALLに入社し、メディアグループで勤務している。

年代別日本代表のキャプテンとして大きな注目を集めながら、クラブチームではなかなか出場機会に恵まれなかった福元洋平。

しかし調子乗り世代をまとめたキャプテンシーと熱い心はベテランになってからも変わることなく、出場した試合では仲間を鼓舞する姿が印象に残っている。

後方でチームのために戦ってきた男が、今は“広報”の舞台で第2の熱い人生を歩んでいる。

選手一覧