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藤山竜仁の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第423回】

アマチュア契約でFC東京の前身である東京ガスに入社後、18年間東京一筋でプレーした東京のバンディエラ。

展開を読む力が優れており、藤山のインターセプトからカウンターに転じるシーンは幾度となくチャンスにつながった。

身長170センチながら空中戦にも強く、本職の左サイドバックだけでなく守備的な位置ならどこでも対応可能。

現役晩年は守備のユーティリティプレーヤーとして穴を埋める貴重な役割を担った。

藤山竜仁のJリーグ入り前


藤山は1973年に鹿児島県鹿児島市に生まれた。

桜島町立桜峰小学校3年生の時にサッカーを始め、桜峰少年団に入団した。

桜島町立桜島中学校サッカー部で活躍後、名門・鹿児島実業高校に進学。同学年に前園真聖(横浜フリューゲルス)、仁田尾博幸(横浜フリューゲルス)、1学年上に笛真人(サンフレッチェ広島)、2学年上に片野坂知宏(サンフレッチェ広島)がいる。

藤山は高校1年次からレギュラーとなり、前園真聖、遠藤保仁の兄・遠藤拓哉とともにチームを牽引しベスト8進出に貢献した。

高校2年次の選手権では、準決勝で上野良治のいる武南を下し、決勝に進出したが、国見に0-1で敗れ準優勝となった。

3年次には城彰二(ジェフ市原)、遠藤彰弘(横浜マリノス)が入学し、戦力が整った状態で選手権に出場。
優勝も期待されたが、準決勝で松波正信のいる帝京高校に敗れ、ベスト4で敗退となった。

また藤山は高校1年次から3年連続で鹿児島選抜に選出され、国体に出場。2年次に出場した国体では全国3位に入った。

高校時代、華々しい成績を残した藤山だったが、翌年にJリーグ開幕を控えたクラブからオファーはなく、大学進学を考えるも、試験を受けてJFLの東京ガスサッカー部(FC東京)に入団することを決意する。

1992年、アマチュア契約で入団した藤山は、午前中にガスの検針作業を行い、午後に練習をするという毎日を送った。
東京ガスでは1年目から出場機会を掴み、同年に入団したアマラオとともにチームの主力として活躍。
この頃は左アウトサイドの攻撃的なポジションでプレーした。

1993年から背番号8を背負う。翌年には日本人選手として創部以来初めてとなるプロ契約を結んだ。

1995年、大熊清が監督に就任すると左サイドバックにコンバートされ、不動のレギュラーとして活躍。

1997年にはリーグ戦全試合に出場し、東京ガスの年リーグ戦準優勝に貢献。藤山は本吉剛、浅利悟とともにベスト11に選出された。

1998年もシーズンを通して欠かせない戦力として、東京ガスの左サイドを担う。
この年、東京ガスは年間優勝を達成し、翌年のJリーグ昇格を果たした。藤山は2年連続でベスト11に選出された。

藤山竜仁のJリーグ入り後

1999年3月14日のJ2開幕戦となったサガン鳥栖戦で左サイドバックとしてJリーグデビューを果たし、FC東京の初勝利に貢献した。
この試合は西が丘サッカー場で開催され、観客は3685人ほどであった。
この年、鹿児島実業時代の盟友であるGK仁田尾博幸がシーズン途中にレンタル移籍で加入し、8年ぶりにともにプレーをすることになった。
FC東京は、東京ガス時代からチームを支えたアマラオ、サンドロ、浅利悟、そして藤山の活躍もあり、リーグ戦2位で翌年のJ1昇格を果たした。

J1昇格以降も不動の左サイドバックとして活躍。
2003年にジュビロ磐田から左のスペシャリストである金沢浄が加入すると、出場機会が減少するも、持ち前のスピードを生かしたカバーリングで存在感を発揮し、センターバックや右サイドバックとしても活路を見出す。藤山は、ジャーンや茂庭照幸とともに最終ラインを支えた。

2004年のナビスコカップ決勝では前半途中から出場し、FC東京の初タイトル獲得に貢献した。

その後も守備のユーティリティプレーヤーとしてチームを支える。2009年に今野泰幸がセンターバックにコンバートされると出場機会が激減し、この年限りでFC東京を退団した。

2010年、J2のコンサドーレ札幌へ移籍。
石崎信弘監督から守備のポリバレント性を期待され、開幕戦からベンチ入りを果たす。
第3節栃木SC戦で初出場を果たすと、同年4月の第9節甲府戦で公式戦500試合出場を達成した。
札幌では主に右サイドバックとして出場し、リーグ戦31試合に出場。

惜しまれながらこの年限りで現役を引退した。

藤山竜仁の引退後と現在

藤山は引退後、FC東京の指導者としてセカンドキャリアをスタート。

U-12育成担当やU-15コーチを経て、2023年から FC東京U-15むさしの監督を務めている。

アマチュア契約の社員選手から、FC東京初となる日本人のプロ契約選手となった藤山竜仁。

FC東京がアマチュアチームで戦った日も、J2を1年で昇格した日も、そしてJ1で初タイトルを獲得する瞬間も藤山の姿はピッチにあった。

藤山竜仁に代表経験はなく、目立つタイプの選手ではない。

しかしFC東京は彼を離さなかった。後十字靱帯を断裂しても、若手にポジションを奪われても、藤山は戻ってきた。

サポーターの心を掴んで離さない選手だった藤山竜仁。

「ミスター東京」と呼ばれた男は、新たなFC東京を作っていく選手を育てるべく今日も後進の育成に励んでいる。

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