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森島康仁の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第444回】

『デカモリシ』の愛称で親しまれた大型ストライカー森島康仁。

身長188cm体重88㎏という恵まれた体格を存分に生かしたポストプレーや空中戦の強さが魅力。

セレッソ大阪でキャリアをスタートさせ、その後、大分トリニータ、川崎フロンターレ、ジュビロ磐田などを渡り歩く。

その潜在能力の高さ故に未完の大器として大いに期待されたが、クラブでは結果が出ずに批判の的にさらされることもあった。

年代別日本代表では能力を発揮し、2008年には念願のフル代表に選出された。

森島康仁のJリーグ入り前


森島は1987年に兵庫県神戸市に生まれた。

幼稚園の時にサッカーを始め、小学校入学後に、みさきFCやセンアーノ神戸ジュニア(元神戸NK SC)に所属し技術を磨いた。
神戸NK時代の1学年下に香川真司がいる。

中学校進学後、父親からの助言でセレッソ大阪のU15に所属。

中学校卒業後はユースに昇格できず、滝川第二高等学校へ進学した。
同学年に柴垣勇輝(ヴィッセル神戸)、内田昂輔(大分トリニータ)、1学年上に木島悠(清水エスパルス)、岡崎慎司(清水エスパルス)がいる。

高校2年次に背番号20を背負い、センターFWとして活躍。
選手権に出場したが、2回戦で本田圭佑率いる星稜高校と対戦。森島はゴールを決めるも3-4で敗れた。

高校3年次には準々決勝で鹿児島実業と対戦し0-1で敗れ、ベスト8となった。

これらの活躍もあり、森島はU-18日本代表に選出。
AFCユース選手権の予選に出場し、柏木陽介や、槙野智章、森重真人、内田篤人、香川真司らとともにプレー。
グループリーグではゴールを決め、日本の予選突破に貢献した。

高校3年次にセレッソ大阪の強化指定選手となり、卒業後に入団が決定する。同期入団には香川真司、山下達也、柿谷曜一朗らがいる。

森島康仁のJリーグ入り後

セレッソ大阪入団1年目はU-19日本代表に選出され、AFCユース選手権の本戦に出場。
準決勝の韓国戦では貴重な同点ゴールを決め、日本の決勝進出に貢献した。
決勝では北朝鮮と激闘を繰り広げたが、PK戦の末に惜しくも準優勝となった。

セレッソ大阪ではリーグ戦2試合の出場に留まり、チームも最終節で川崎フロンターレに敗れJ2へ降格した。

入団2年目にはU-20日本代表としてFIFA U-20ワールドカップへ出場。
グループリーグ初戦のスコットランド戦で先制点を決めるなどし、予選突破に貢献。
決勝トーナメント初戦のチェコ戦でもゴールを決めるも、PK戦の末にベスト16で敗退した。

しかしセレッソ大阪ではレギュラー定着とまではいかず、出場機会に恵まれなかった。
それでもU-22日本代表として北京オリンピックサッカーのアジア予選に出場するなど、世代屈指のストライカーとしての信頼は揺るがなかった。

セレッソ入団3年目の2008年には、大分トリニータのエースである高松大樹が負傷離脱したため、その穴を埋める存在としてオファーを受け、レンタル移籍を決意。

大分ではシャムスカ監督のもとで、ウェズレイと2トップを組む。
得点数は少ないながらも、ポストプレーや空中戦の強さで攻撃を牽引した。
この活躍が日本代表の岡田武史監督の目にとまり、日本代表に選出されたが、出場はなかった。

2009年は大分へ完全移籍。
しかし金崎夢生やフェルナンジーニョらがFWで起用されたため、出場機会は少なくリーグ戦9試合で1ゴールに留まると、この年大分はJ2へ降格。

その後、2011年、2012年と、大分で2桁得点を記録し、名実ともにエースとして活躍。
2012年のJ1昇格プレーオフの準決勝・京都サンガ戦では4ゴールを決めてチームの決勝進出に貢献。
ジェフ千葉との決勝戦では、林丈統の決勝ゴールをアシストし、大分のJ1昇格の原動力となった。

2013年は途中出場が多いながらもリーグ戦30試合に出場し7ゴールをマーク。
しかし大分は年間で僅か2勝しか出来ず、1年でJ2へ降格となった。

2014年は川崎フロンターレへ移籍。
2014年4月6日の第6節徳島ヴォルティス戦では大久保嘉人と2トップを組み先発出場。
移籍後初ゴールを決めて4-0での勝利に貢献した。
しかし、その後は出場機会は少なくリーグ戦9試合の出場に留まると1年で川崎を退団。

2015年はJ2のジュビロ磐田へ移籍。
元イングランド代表FWジェイのサブという立ち位置ながらも、出場した試合では安定した動きを見せ、ジュビロのJ1昇格に貢献。

しかし2016年はアダイウトン、ジェイがシーズンを通してほぼ固定で起用されたため、出場機会は少なくこの年をもってジュビロを退団。

2017年は九州リーグのテゲバジャーロ宮崎へ移籍。
この移籍はJ1所属の選手が九州リーグへ移籍するということで大きな注目を集めた。
この年の宮崎は18勝1敗という圧倒的な強さを見せ、九州リーグを制覇すると全国地域サッカーチャンピオンズリーグに進み、準優勝でJFL昇格を果たした。
森島自身もリーグ戦17試合で19得点と、格の違いを見せ、九州サッカーリーグ得点王に輝いた。

2018年は関東1部の栃木ウーヴァFCへ移籍。
ここでも森島は関東リーグ得点王に輝くとともに栃木を無敗でリーグ戦優勝へと導く。
しかし全国地域サッカーチャンピオンズリーグでは得点を挙げたものの、チームは予選で敗退となった。

2019年からはJ3の藤枝MYFCへ移籍。
加入初年度は16得点を挙げ、得点ランキング3位に入る活躍を見せる。

2020年からは得点数は減少したものの、ターゲットマンとしてチームに貢献。

2021年はリーグ戦4試合でノーゴールに終わり、この年限りで現役を引退した。

森島康仁の引退後と現在

10代から世代屈指のストライカーとして注目を集め、多くの世界大会を経験してきた森島康仁。

大きな期待とは裏腹に、結果が出ないと批判の矢面に立たされる日々もあった。

次代の日本代表を担う若手のエースとして騒がれた男は、その後様々な苦悩に悩まされることになる。

かつて日の丸のユニフォームを着て共に戦った仲間たちは、世界の舞台へ1人、また1人と飛び出していった。

それでも森島は続けた。サッカーを諦めなかった。

そして大分、磐田ではJ1昇格に貢献し、現役晩年にはJ1から地域リーグへ移籍し、再びJの舞台へ舞い戻るという壮絶な経験を積んだ。

そんな経験、なかなかできるものじゃない。

「調子乗り世代」の頃のデカモリシの印象しかない人からすれば、彼のその後のサッカー人生に驚いたのではないだろうか。

森島は引退後、ストライカーの育成に特化した「DMFA(Deka Morishi Fw Academy)」を静岡に開校した。

日本から世界へ通じるFWを育てるべく、指導を行っている。

酸いも甘いも経験したデカモリシの大きな野望を見届けたい。

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