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矢島卓郎の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第445回】

類まれなる身体能力の持ち主で、強靭なフィジカルを生かしたプレーが魅力の大型ストライカー矢島卓郎。

清水エスパルスでは大卒1年目から背番号9を託され、そのプレースタイルから『和製ファン・ニステルローイ』と呼ばれた。

清水退団後は川崎フロンターレ、横浜FマリノスなどのJ有数のビッグクラブを渡り歩くも結果が残せない日々が続いた。

「能力は間違いなく代表クラス」と言われ続けた未完の大器は、怪我との戦いを強いられることになった。

矢島卓郎のJリーグ入り前


矢島は1984年に滋賀県滋賀郡に生まれた。

志賀町立小野小学校1年生の時にサッカーを始め、 小野サッカースポーツ少年団に所属した。

当時からFWとしてプレーし、小学校6年生の時には、第19回全日本少年サッカー大会に出場し、全国ベスト16に進出。滋賀県選抜にも選出された。

志賀町立志賀中学校へ進学後、サッカー部で活躍し県内有数の進学校である膳所高校へと進む。
高校1年次からレギュラーを掴み、3年次には選手権の滋賀県予選決勝に進出。内林広高(ガンバ大阪)率いる草津東と対戦するも敗退し、選手権出場の夢は叶わなかった。
また、高校3年次には滋賀県選抜として国体に出場した。

高校時代無名の選手だった矢島は、卒業後に一般入試で早稲田大学へ進学。
早稲田大学同学年に徳永悠平(FC東京)、岡本昌弘(ジェフユナイテッド市原)、高橋周大(水戸ホーリーホック)、1学年下に横山知伸(川崎フロンターレ)、山口貴弘(湘南ベルマーレ)、松橋優(大分トリニータ)がいる。

大学2年次には関東選抜に選出。
大学3年次には大榎克己が監督に就任し、プロ入りを意識し始める。この年、矢島はJ2の川崎フロンターレの特別指定選手となった。
2004年11月27日第44節サガン鳥栖戦では、町田忠道と交代でピッチに入り、Jリーグ初出場を果たした。

大学4年次には全日本大学選抜に選出。
4つののクラブからオファーを受け、清水エスパルスへ入団する。同期入団に武田洋平がいる。

矢島卓郎のJリーグ入り後

2006年3月25日の第5節大宮アルディージャ戦で久保山由清と交代で清水での初出場を果たすと、次節の第6節ガンバ大阪戦ではチョジェジンと2トップを組む。
この試合ではマークについていたガンバDFシジクレイを弾き飛ばしJ初ゴールを決めるなど、スケールの大きさを見せつけた。

その後もマルキーニョスチョジェジン、岡崎慎司と激しいポジション争いを繰り広げるも、リーグ戦19試合に出場し3ゴールをマークした。

2007年はマルキーニョスが鹿島へ移籍したが、西澤明訓、フェルナンジーニョが加入し、ポジション争いは激化するも矢島は開幕戦から起用される。
4月21日第7節鹿島アントラーズ戦では腰部を骨折し約1ヶ月戦線を離脱するも、リーグ戦26試合で7ゴールと結果を出す。

2008年は肉離れなどの度重なる怪我のため、出場機会は限られたがリーグ戦終盤には復帰。リーグ戦24試合出場で5ゴールを決めた。

2009年には大学時代に特別指定として所属した川崎フロンターレへ移籍。
川崎でもジュニーニョ、レナチーニョ、鄭大世、黒津勝といったFW陣と争うことになる。
加入初年度はリーグ戦14試合で2ゴールと寂しい成績に終わった。

2010年は故障で出遅れるも10月以降は先発に定着し、2試合連続ゴールを奪うなどリーグ戦12試合で4ゴールを決め、復活の逃しを見せた。

2011年は開幕戦のモンテディオ山形戦でゴールを決めるなどシーズンを通して好調をキープ。小林悠やジュニーニョと息の合ったプレーを見せ、キャリアハイとなるリーグ戦30試合に出場し7ゴールをマークした。

2012年は膝の怪我で出場機会は限られたがリーグ戦20試合で7ゴールを決める。
しかし2013年は17試合で3ゴールに留まり、この年で川崎を退団した。

2014年は横浜Fマリノスへ移籍。
中村俊輔というJ屈指のパサーとのコンビで念願の得点量産を期待されたが、2シーズン在籍でノーゴールに終わった。

2016年はJ2京都サンガへ移籍。
第38節ファジアーノ岡山戦で84分にJ2初ゴールを決めるも、この年は12試合で1ゴールに終わり、この年をもって現役を引退した。

矢島卓郎の引退後と現在

矢島は引退後、古巣である川崎フロンターレの下部組織で指導者としてのキャリアをスタート。

2020年からは川崎フロンターレU-12のコーチを務めている。

また関東サッカーリーグ2部に所属し、Jリーグ入りを目指すはやぶさイレブンのアドバイザーに就任している。

「怪我さえなければ」

矢島のポテンシャルを知る人からすれば、矢島の現役生活に対してこの言葉がつきまとう。

慢性化してしまったひざの怪我や筋肉系の故障、手首や腰の骨折など、毎シーズンのように大きな怪我が矢島に襲い掛かった。

それでも出場した試合では記憶に残るゴールも多く、サポーターを沸かせた。

特に大卒1年目に決めたガンバ大阪戦でのJリーグ初ゴールは可能性を大いに感じるゴールであった。

強さと速さを兼ね備えたストライカーのゴールそのものだった。

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