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前田雅文の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第496回】

スピードに乗ったドリブルとゴール前での得点感覚に優れたFW前田雅文。

関西大学時代はユニバーシアード日本代表として右サイドハーフを担い、優勝に貢献。

ガンバ大阪時代は常勝軍団の中において出場機会は限られたが、入団1年目の2005年5月8日にJリーグ初ゴールをマーク。このゴールはJリーグ史上10000ゴールのメモリアル弾として、大きな注目を集めた。

前田雅文のJリーグ入り前


前田は1983年に滋賀県野洲市に生まれた。

小学校3年生の時にサッカーを始め、地元のクラブチームである野洲JFCに所属した。

野洲市立野洲中学校進学後、セゾンフットボールクラブに所属。
同期に田中大輔(清水エスパルス)、1学年上に菅原太郎(柏レイソル)がいる。
セゾンフットボールクラブでは徹底的に個人技を学ぶ。この経験はその後の前田の持ち味となるドリブル技術の基礎へとつながっている。

中学校卒業後、田中大輔とともに野洲高校へ進学。
当時の滋賀県では草津東高校や守山北高校が強豪であり、野洲高校サッカー部の実績は乏しかったが、前田や田中といった技巧派のセゾンFCの主力組が入学したことにより強豪校へと変わっていった。

前田は1年次から主力として活躍。同年の選手権予選では準決勝まで進んだ。
3年次には選手権初出場が期待されたが、前田が県予選準々決勝で退場となり、この影響もありチームは準決勝で敗退となった。

高校卒業後、関西大学へ進学。

大学時代は1年次からレギュラーとして活躍し関西学生サッカー1部リーグでの優勝に貢献。
大学3年次には名古屋グランパスエイトの練習に参加し、特別指定選手として登録されたが公式戦への出場はなかった。
また同年の8月にはユニバーシアード日本代表に選出され、岩政大樹中後雅喜田代有三中田洋介、兵働昭弘らとともに韓国・大邱大会に出場し優勝に貢献した。

大学卒業後、複数のオファーがあった中、ガンバ大阪へ入団する。
同期入団に松岡康暢(ガンバ大阪ユース)がいる。

前田雅文のJリーグ入り後


入団1年目の2005年4月23日第7節FC東京戦で初のベンチ入りをすると、後半18分にフェルナンジーニョと交代でJリーグ初出場を果たした。
同年5月8日第11節名古屋グランパスエイト戦では、後半16分に途中交代で出場すると、中盤から縦へのロングパスに反応し、右足でトラップをすると冷静に右足を振りぬきJ初ゴールを決めた。
このゴールはJリーグ通算10000ゴール目だったことで、無名の大卒ルーキーだった前田の名は広く知れ渡ることになった。

その後も5月28日のナビスコカップ・川崎フロンターレ戦でカップ戦初ゴールを決め勝利に貢献。
今後の飛躍が期待された前田だったが6月8日の練習中にじん帯断裂の大怪我を負い、残りのシーズンはリハビリに努めることになった。

2006年は怪我から復帰を果たし、第3節セレッソ大阪戦でベンチ入り。
その後は途中交代が多いながらもリーグ戦27試合に出場。FWや右サイドハーフとして活躍した。

しかし2007年は出場機会が激減し、リーグ戦5試合の出場に留まる。
2008年には3年間在籍したガンバ大阪を離れ、J2ヴァンフォーレ甲府へレンタル移籍をした。
加入1年目はFWとして出場を続け、6月15日セレッソ大阪戦では移籍後初ゴールをマークしたが、シーズン終盤は怪我の影響もあり出場機会が減少。
同年はリーグ戦16試合で1ゴールの成績を残したが、翌年の2009年は怪我の影響で出場機会がなく甲府を退団した。

2010年はザスパ草津へ移籍。
FWやサイドハーフとしてプレーし、廣山望高田保則といったベテランとともに草津の攻撃を牽引。
2011年には第16節東京ヴェルディ戦でアディショナルタイムに加入後初ゴールを決めるも、この年は筋肉系の故障に悩まされ、リーグ戦5試合で1ゴールに終わるとこの年をもって現役を引退した。

前田雅文の引退後と現在

前田は引退後の2012年に大阪学院大学サッカー部のコーチに就任。

2016年からは母校である関西大学の監督に就任し、サッカー部を率いている。

Jリーグ通算10000ゴール目を決めた選手として、一躍時の人となった前田雅文。

しかしそれは狙って決めたわけではなく、後からついてきたものだ。
本人もこのゴールについて「特に印象に残っていない。当時はとにかく必死だった」と後年語っている。

常勝軍団「ガンバ大阪」に入団し周囲のレベルに圧倒されながら前田はいつしか、自分らしいプレーやこだわりといったものを捨て、監督の求めるサッカーを忠実にこなすようになっていった。

じん帯断裂という大怪我を負い、その後はJ2クラブを転々として29歳で引退。
Jリーグ通算70試合で6ゴールというプロでの成績は印象としては薄く、Jリーガー前田雅文を語る際には「10000ゴールの男」という肩書がこの先もずっとついて回るかもしれない。

現在、前田は自身がプロを意識した大学サッカー界に身を置き、関西大学の指揮官として活躍している。天皇杯には2022年から2年連続で大阪府代表として出場し、2023年6月7日の2回戦では浦和レッズ相手に0-1で敗れはしたが、アジアチャンピオンを相手に延長戦までもつれるなど最後まであきらめないサッカーを見せた。関西大学は格上相手に臆することなく、個人技と連携を融合させたクリエイティブなサッカーを展開した。

ピッチサイドから選手たちへ的確な指示を出すその姿は「ラッキーボーイ」として名が知れ渡った前田ではなく、大学サッカーの名将・前田雅文そのものだった。

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