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黒部光昭の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第492回】

打点の高いヘディング、絶妙なポジショニングから繰り出される正確なシュートが魅力のFW黒部光昭。

福岡大学時代は大学ナンバーワンストライカーとして名を馳せ、複数クラブの争奪戦の末に京都パープルサンガへ入団。

入団2年目にはJ2でリーグ戦40試合で30ゴールを叩き込み、チームをJ1へ導くと同時に自身も日本人得点王に輝いた。

2003年は天皇杯決勝の鹿島アントラーズ戦で値千金の決勝ゴールを決め、タイトル獲得に貢献。
同年、ジーコ監督により日本代表に抜擢され、国際Aマッチ4試合に出場するなど一気にスターダムを駆け上がった。

黒部光昭のJリーグ入り前


黒部は1978年に徳島県阿南市に生まれた。

小学校2年生でサッカーを始め、地元の那賀川中学校へ進学しサッカー部で活躍。

卒業後は名門の徳島県立徳島商業高等学校へ進んだ。
1学年下に田村直弘(ガンバ大阪)がいる。

黒部は早くからエースストライカーとしてチームを牽引するも、選手権には本田征治や、藤田聡、藤本主税のいる徳島市立が3年連続で立ち塞がり、全国大会への出場は叶わなかった。
インターハイも県予選の決勝まで進むも、2年連続で準優勝となっている。

高校3年次にガンバ大阪や柏レイソルの練習に参加するも、プロ入りはせずに福岡大学へと進む。
福岡大学の1学年下に吉本岳史(名古屋グランパス)、2学年下に太田恵介(アビスパ福岡)、坪井慶介(浦和レッズ)がいる。

福岡大学では1年次から主力として活躍。
大学3年次には九州リーグ優勝の原動力となり、全日本大学選抜に選出された。
大学4年次にはユニバーシアード日本代表に選出され、背番号10を背負いスペイン大会に出場。
黒部は全試合に出場し、エースとしてチームを牽引するもグループリーグ敗退となった。

同年代で突出した能力をもったFWとして注目された黒部のもとには、京都パープルサンガ、セレッソ大阪、名古屋グランパス、アビスパ福岡からオファーが届く。

その中から「実家が近い」「チームの中心になれる可能性が高い」という理由で京都入りを決意する。
同期入団に宮崎健治(関学大)、松井大輔(鹿児島実業)、川口正人(横浜マリノスユース)、上野秀章(室蘭大谷)がいる。

黒部光昭のJリーグ入り後


入団1年目の2000年3月11日1stステージ第1節ジェフ千葉戦でベンチ入りを果たすと、後半開始から松川友明と交代でJリーグ初出場を果たした。
その後は主に途中出場で同年はリーグ戦12試合に出場したが、チームは年間順位15位に沈み、J2へ降格した。

2001年は開幕戦こそベンチスタートだったが、第2節アルビレックス新潟戦で上野優作と交代でピッチに入るとJリーグ初ゴールをマーク。
この得点は決勝点となり、京都のシーズン初勝利となった。

その後はスタメンに定着し、上野優作朴智星(パクチソン、松井大輔、鈴木慎吾などJ2では別格の戦力で勝ち星を積み上げ、1年でのJ1復帰に大きく貢献。
黒部は7戦連続ゴールを決めるなど、リーグ戦40試合で30ゴールを決め、ベガルタ仙台のマルコスの34ゴールに次ぐ得点ランキング2位となった。

2002年は日韓ワールドカップで大きく飛躍した朴智星(パクチソン、松井大輔と3トップを形成。
リーグ27試合に出場し、13得点をマークするなどJ1でも十分に通用する能力を証明した。
同年の天皇杯では3回戦の横浜FC戦でハットトリックを決めるなどし、チームの決勝進出に貢献。
決勝戦では鹿島アントラーズと対戦し、殊勲の逆転ゴールを決め、天皇杯制覇の原動力となった。

2003年は朴智星(パクチソンが移籍するなど戦力が低下し、1stステージを最下位で折り返す。
黒部は田原豊との2トップでチームを支え、2年連続となる2桁得点をマークするも京都はJ2降格となった。
同年、黒部はジーコ監督により日本代表に招集される。
2003年3月28日、国立競技場で開催されたウルグアイ代表との親善試合で、後半30分に鈴木隆行と交代で出場し代表デビューを飾った。
その後もキリンチャレンジカップのセネガル代表戦、東アジアサッカー選手権での韓国代表戦に途中出場を果たした。

2004年も京都に残留し1年でのJ1昇格を目指すも、チームは5位となりこの年をもって京都を退団。

2005年はJ1セレッソ大阪へ移籍。
背番号10を背負った黒部は開幕戦から2試合連続でゴールを決め、存在感を示す。
その後も主力としてチームを牽引しリーグ戦32試合に出場。しかし得点は伸びずに5ゴールに留まった。

2006年は浦和レッズへ移籍。
同年の浦和にはワシントン、永井雄一郎、田中達也、エスクデロ、岡野雅行など様々なタイプのFWがいたため、出場機会を掴めずリーグ戦9試合の出場でノーゴールに終わった。

2007年はJ1ジェフ千葉へ移籍。
開幕戦は巻誠一郎との2トップで先発するもその後は控えに回りリーグ戦11試合ノーゴールに終わり、1年でジェフを退団した。

2008年はJ2アビスパ福岡へ移籍。
ハーフナーマイクや大久保哲哉と2トップを組み、シーズンを通して起用される。
2シーズン在籍しリーグ戦55試合に出場し4ゴールをマークした。

2010年からはJ2カターレ富山へ移籍。
開幕戦でシーズン第1号ゴールを決める。
前年まで得点数が伸び悩んでいたものの、エースとしてゴールを量産し2年連続でチーム得点王となる活躍を見せた。

2012年以降は得点数は減ったもの、前線からの献身的な守備やポストプレーで起点となった。

2013年はリーグ戦14試合に出場。この年を持って4年間在籍したカターレ富山を退団。

黒部は富山を退団後、2014年より初の海外移籍となるタイ・ディヴィジョン1リーグ・TTMカスタムズFCでのプレーを選択。

タイで1年間プレーした後、2015年に正式に現役引退を表明。

黒部光昭の引退後と現在

黒部は2015年12月に古巣のカターレ富山の強化部長に就任した。

2021年には名古屋グランパスの強化部に加入。

元日本代表の山口素弘GMのもとで、中谷勇介、大森征之らとともに名古屋の未来を担う新たな戦力の発掘に尽力している。

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