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大神友明の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第461回】

果敢な飛び出しと素早い反応が持ち味のGK大神友明。

1997年にジュビロ磐田で正GKの座を勝ち取ると、ビッグセーブを連発してリーグ優勝に貢献。

リーグ最少失点数に抑えた強固な守備の中心選手として、この年のJリーグベストイレブンに選出された。

大神友明のJリーグ入り前


大神は1970年に広島県広島市中区江波に生まれた。

小学校の時にサッカーを始め、中学校卒業後に広島県立国泰寺高校へ進学。
1学年上に高田哲也(湘南ベルマーレ)がいる。

高校3年次に選手権に出場。
1回戦で金沢高校を4-1で下し、2回戦では室蘭大谷を1-0で破り3回戦に進出。
3回戦では池田太や石川康のいる武南と対戦し0-3で敗れた。

大神は守護神として安定した守備を見せ、同学年の岐阜工業の下川健一(ジェフ市原)、前橋商業の米倉誠(名古屋グランパス)、市立船橋の野口幸司(ベルマーレ平塚)らとともに大会優秀選手に選出された。

高校卒業後、筑波大学に進学。
同学年に三浦文丈(横浜マリノス)、菊原伸郎(浦和レッズ)、1学年下に藤田俊哉(ジュビロ磐田)、服部浩紀(横浜フリューゲルス)、辛島啓珠(ガンバ大阪)、木山隆之(ガンバ大阪)らがいる。

大学2年次にバルセロナ五輪予選日本代表に選出され、翌年のアジア予選に出場するも、日本はアジア最終予選で敗退している。

大学4年次には選手権でベスト4入りを達成。
関東大学リーグ、総理大臣杯では優勝を果たした。

この活躍を受け、大学卒業後の1993年にヤマハ発動機サッカー部(ジュビロ磐田)へ入団する。

大神友明のJリーグ入り後

1994年、Jリーグ参入初年度のジュビロのGKは元日本代表の森下申一が務めることになったが、大学サッカー界屈指の実績をもつ大神は開幕戦からベンチ入りを果たすことになった。
同年のNICOSシリーズ中盤で森下が負傷で欠場するも、同年代のGK尾崎勇史が起用されたため、出場試合は4試合に留まった。

1996年は開幕戦からゴールマウスを守るも、自身の負傷もあり、GKコーチ兼任選手のハーフナー・ディドや大神友明が次第に起用されるようになった。

1997年は開幕戦から完全に定位置を確保し、シーズンを通して正GKとして活躍。
果敢な飛び出しを持ち味に、安定した守備を見せ、ジュビロ磐田のリーグ戦制覇に貢献した。
この年、全試合出場で失点数をのリーグ最少の「35」に抑えた活躍を受け、ジュビロからドゥンガ、名波浩、中山雅史とともにJリーグベストイレブンに選出された。

1998年のゼロックスは尾崎にポジションを譲るも、開幕戦から起用されるとシーズンを通して全試合に出場。
ジュビロは田中誠鈴木秀人服部年宏、アジウソンらを中心とした強固な守備を見せ、この年の1stステージで優勝。
大神はこの年のJリーグオールスターサッカーの出場選手に選出され、ゴールマウスを守った。

1999年も桑原隆監督から信頼され、正GKとして活躍するが5月22日1stステージ第14節ガンバ大阪戦でじん帯を損傷し長期欠場に入ることになった。

2000年には怪我から復帰するも、オランダ人GKヴァンズワムが加入したためベンチを温めることになった。

2002年には出場機会を求めてJ2アビスパ福岡へ移籍。
移籍初年度は背番号1を背負い、開幕戦から起用された。
第6節ベルマーレ戦で痛恨の退場処分を受けるも、第8節からレギュラーに復帰し、シーズンを通して活躍しリーグ戦38試合に出場した。

2003年以降は水谷雄一が正GKとして起用されるようになったため、出場機会がなく2004年シーズン終了後に現役を引退した。

大神友明の引退後と現在

大神は引退後、ジュビロ磐田のGKコーチとして活躍。

その後、アビスパ福岡、栃木SC、ベガルタ仙台でトップチームのGKコーチを歴任。

2023年からはギラヴァンツ北九州のGKコーチを務めている。

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