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西紀寛の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第508回】

1.5列目や右サイドを主戦場に、フレキシブルな動きで果敢にゴールを狙うアタッカー西紀寛。

独特なタッチから繰り出される緩急の効いたドリブルは切れ味が鋭くピッチで異彩を放った。

市立船橋で得点源として活躍後、1998年唯一の高卒選手として黄金期のジュビロ磐田に入団すると1年目から出場機会を掴み、12年連続でリーグ戦でのゴールをマークするなど活躍し、数々のタイトル獲得に貢献。

2004年にはジーコ監督により日本代表に招集され、国際Aマッチ5試合に出場した。

西紀寛のJリーグ入り前


西は1980年に大阪府高槻市に生まれた。

5歳の時にサッカーを始め、小学校時代は高槻市の少年サッカーチームである日吉台ウィングスSCに所属した。

高槻市立芝谷中学校を卒業後、地元の学校には進まずに千葉県の市立船橋高校へ進学。

市立船橋の同学年には松田正俊(FC東京)、1学年下に黒河貴矢(清水エスパルス)、原竜太(名古屋グランパス)、羽田憲司(鹿島アントラーズ)がいる。

西は1年次から背番号22を与えられ将来を嘱望されると、2年次には背番号15を背負い司令塔として活躍。
選手権の千葉県予選決勝で羽生直剛ようする八千代高校に1-3で敗れるも、インターハイではベスト4入りに貢献した。

3年次には背番号10を背負い、松田正俊との2トップで活躍。
選手権では千葉県予選決勝で玉田圭司、吉野智行ようする習志野高校に1-2で敗れ、またしても全国出場を逃すも、インターハイでは別格の強さを見せ全国制覇を達成。
また千葉県選抜としても活躍。決勝で大阪選抜を下し、優勝に貢献した。

高校卒業後、横浜フリューゲルス入りが内定していたがクラブ消滅に伴い、高校2年次から声をかけられていたジュビロ磐田へ入団する。
同期入団は金沢浄(国士舘大学)、箕輪義信(仙台大学)。
西はこの年ジュビロ磐田に唯一の高卒選手として入団した。

西紀寛のJリーグ入り後

西は高卒1年目ながら1999年5月29日1stステージ最終節ジェフ市原戦でベンチ入りを果たすと、後半23分に清水範久と交代でJリーグ初出場を飾った。
2ndステージからは出場機会を掴み、第4節アビスパ福岡戦で初ゴールをマーク。
この年は途中出場が多いながらもリーグ戦13試合で4ゴールを決める活躍を見せ、ジュビロ磐田の年間優勝に貢献した。

2000年はハジェヴスキー監督のもとで右サイドに定着し、開幕戦から出場。
中山雅史、高原直泰というJ屈指の2トップの下で奥大介藤田俊哉福西崇史服部年宏らとともに中盤を形成した。
この年、フィリップ・トルシエ監督のもとでシドニーオリンピック日本代表に選出。ジュビロからは高原直泰とともに選出となった。
日本はグループリーグを突破し決勝トーナメントに進出しベスト8となったものの、西は控えGK都築龍太とともにチームで2人だけ出場機会を与えられずにシドニーを離れることになった。

2001年はシドニーでの悔しさをバネに躍動。
リーグ戦22試合に出場しジュビロ磐田の1stステージ制覇に貢献。
チャンピオンシップでは2ndステージ覇者の鹿島アントラーズと対戦し、延長戦直後に決定的なシュートを放つなど活躍。
しかしその直後に本山雅志の突破をファウルで止めてしまい、フリーキックを与えると小笠原満男に決められ、年間王者のタイトルを逃した。

2002年は鈴木政一監督のもとで司令塔・名波浩を中心とした中盤のキーパーソンとして活躍。
ジュビロ磐田の完全優勝の立役者となった。

2004年はジーコ監督により念願の日本代表に招集される。
同年4月25日の国際親善試合のハンガリー戦で代表デビューを飾ると、7月、8月に開催されたAFCアジアカップにも引き続き招集された。
アジアカップではオマーン戦、バーレーン戦の終了間際に出場。日本のアジア制覇に貢献した。
同年12月16日に開催されたキリンチャレンジカップ・ドイツ代表との試合で三都主アレサンドロと交代で後半38分から出場するも0-3で敗れた。
西にとってこれが最後の代表戦となった。

その後、ジュビロでは右膝の怪我の影響で出場機会を減らすも、キレのあるドリブルでの崩しはチームに必要不可欠であり右サイドやFWで重宝された。

2009年はリーグ戦29試合、2010年はリーグ戦31試合に出場するなどベテランの域になっても活躍。
2010年のナビスコカップでは準々決勝のベガルタ仙台戦で貴重な勝ち越しゴールを記録。
決勝ではサンフレッチェ広島との激しい打ち合いとなったが、延長戦を含めてフル出場し5-3で勝利。久しぶりのタイトル獲得に貢献した。

2011年はプロ入り後初となる無得点でシーズンを終えるとこの年をもって13年間在籍したジュビロを退団。

2012年はJ2東京ヴェルディへ移籍。
川勝良一監督のもとで上位進出を狙うヴェルディの補強の目玉として加入すると、右サイドの不動のレギュラーとして活躍。
リーグ戦38試合で6ゴールを記録した。
2013年、監督が三浦泰年に代わってもその地位は揺るがず、リーグ戦35試合で5ゴールを決めたがリーグ戦の順位は13位に留まりこの年限りでヴェルディを退団。

2014年はタイ・プレミアリーグのポリス・ユナイテッドFCへ移籍。
1年間プレーした後に帰国し、ジュビロで共にプレーした高原直泰が立ち上げた沖縄県リーグ3部の沖縄SVへ移籍。
J経験者の飯尾一慶、松本圭介、森勇介らとともにJFL昇格を狙うも目標は果たせずこの年限りで36歳で現役を引退した。

西紀寛の引退後と現在


西は2016年に現役引退後、2017年から古巣であるジュビロ磐田の普及スタッフに就任。

その後にA級ライセンスを取得し、バディーサッカークラブ、船山祐二が立ち上げた「FUNAJUKU」などでスクールコーチを務めている。

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