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黒河貴矢の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第489回】

タイミングの良い飛び出し、安定したセービングが魅力のGK黒河貴矢。

市立船橋高校時代は、出場した公式戦34試合中29試合を無失点に抑えるという偉業を成し遂げた。
高校3年次に出場した選手権では、史上初となる全試合無失点に抑えて優勝を果たし、世代ナンバーワンGKとして大きな注目を集めた。

清水エスパルスでキャリアをスタートし、2004年にはアテネオリンピック日本代表に選出。

9シーズンに渡って所属したアルビレックス新潟では、怪我と戦いながらも日本代表GK東口順昭と熾烈なポジション争いを繰り広げた。

黒河貴矢のJリーグ入り前


黒河は1981年に愛媛県周桑郡丹原町に生まれた。

西条市立丹原小学校入学後、3年生の時にサッカーを始める。

丹原サッカースポーツ少年団でサッカーを学び、西条市立丹原東中学校へ進学しサッカー部で活躍。

中学時代から将来を嘱望され、名門である千葉県の市立船橋高校へ進学した。
同学年に原竜太(名古屋グランパス)、羽田憲司(鹿島アントラーズ)、1学年下に中澤聡太(柏レイソル)、2学年下に阿部翔平(名古屋グランパス)、1学年上に西紀寛(ジュビロ磐田)、鈴木善人(ジェフ市原)がいる。

黒河は2年次から鈴木善人の控えとしてら2ndGKとしてベンチ入りを果たす。
またこの年から年代別日本代表に選出されるようになる。

3年次には正GKとして活躍。
選手権では史上初となる全試合無失点での優勝を果たし、黒河はこの大会の優秀選手に輝いた。
また、この年に千葉県選抜として佐藤寿人、佐藤勇人、 原竜太兵働昭弘らとともに国体に出場。決勝では静岡県選抜を6-0で下し優勝を果たした。

高校時代に出場した公式戦は34試合で29完封という記録を残し、高校ナンバーワンGKという評価を受けた。

高校卒業後の2000年、清水エスパルスへ入団する。
同期入団に池田昇平、太田圭輔、吉崎雄亮、鈴木浩介がいる。

黒河貴矢のJリーグ入り後


2000年7月1日2ndステージ第2節横浜Fマリノス戦で、腰痛のために急遽欠場した真田雅則の代わりとして初出場を果たした。
デビュー戦は後半40分にファビーニョのゴールにより1-0で勝利している。
その4日後のナビスコカップのアビスパ福岡戦にも出場。
その後もリーグ戦でベンチ入りを続けるもこの年はこの2試合の出場に留まった。

2001年はリーグ戦8試合に出場。
U-20日本代表に選出され、FIFAワールドユース選手権に出場。
しかし正GKには藤ヶ谷陽介が起用されたため出場機会はなく、チームもグループリーグで敗退した。
同年の天皇杯では5試合に出場し、清水エスパルスのタイトル獲得に貢献した。

2002年はゼロックススーパーカップで起用されPK戦の末に鹿島を下しタイトルを獲得。
開幕戦から正GKとして出場を続けるも、シーズン途中からはベテランの真田雅則が正GKに復帰したため、控えに回ることになった。

2003年はシーズンを通して起用され、リーグ戦24試合に出場。
翌年はアテネオリンピック日本代表に選出。しかしオーバーエイジ枠で曽ヶ端準が選出されたため出場機会はなかった。

2005年は引退した真田雅則より背番号1を受け継ぐも、西部洋平の台頭により出場機会は減少。

2006年は出場機会を求めて東京ヴェルディ、シーズン途中にジェフ千葉へレンタル移籍をするもいずれも出場機会はなくシーズン終了後に清水との契約満了により退団となった。

2007年はアルビレックス新潟の育成組織としても位置づけられている北信越1部リーグのJAPANサッカーカレッジでプレー。
安定した活躍を見せ、翌年にはアルビレックス新潟へ移籍した。

2008年、2009年は北野貴之、野澤洋輔に次ぐ第3GKの位置づけだったが最年長GKとしてチームを支える。

2010年は開幕スタメンの座を掴むも、第2節ジュビロ磐田戦で負傷し、入団2年目の東口順昭と交代。
その後は東口順昭が起用されるようになった。

2011年はアキレス腱断裂の大怪我を負い、リーグ戦の出場機会はなかった。

2012年は開幕戦の川崎フロンターレ戦に先発出場。
しかしこの試合で左ひざを負傷し、その後は小澤英明が起用される。
怪我から復帰した後は正GKの東口順昭の控えに回った。この年は残留争いを行う苦しいシーズンとなったが、終盤に右ひざ前十字靭帯再断裂で離脱した東口に代わり守護神として安定した守備を見せ、新潟の残留に貢献した。

2013年は東口順昭不在の穴を埋め、開幕戦からゴールを守る。
4試合勝利無しの苦しいスタートとなったが第5節ベガルタ仙台戦で1-0で勝利。
第14節柏レイソル戦で東口が復帰するまでゴールを守った。

2014年は、前年に退団した東口順昭に代わる守護神として期待を受けるも、カターレ富山から加入した守田達弥とのポジション争いに敗れ、サブに回った。

2016年はリーグ戦出場機会がなく、この年限りで新潟を退団。35歳で現役生活を終えた。

黒河貴矢の引退後と現在

黒河は引退後、2017年より古巣であるアルビレックス新潟のアカデミーコーチに就任。

2020年からは地元である愛媛に活動の場を移し、愛媛FCのアカデミーゴールキーパーコーチに就任している。

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