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渡辺毅の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第398回】

10年間に渡り、柏レイソル一筋でプレーしたセンターバック渡辺毅。

空中戦の強さと屈強なフィジカルを武器に、柏レイソルの最終ラインを支え続けた。

1997年にはJリーグカップ優勝とMVPを獲得。この年には日本代表に選出され、ブラジル戦で出場を果たすなど飛躍の年となった。

Jリーグ通算出場試合は281試合に及び、この試合数は大谷秀和(478試合)、南雄太(291試合)に次ぐ偉大な記録だ。

渡辺毅のJリーグ入り前


渡辺は1972年に静岡県藤枝市に生まれた。

2人の兄の影響で物心ついたときにサッカーを始めた。

西益津小学校に入学後、西益津サッカー少年団に入団。
小学校の同級生に名波浩(ジュビロ磐田)がいる。

名波は小学生時代の渡辺について「スピードもあってドリブルもうまくてスーパースターみたいな男だった。渡辺と勝負しても仕方がなかった」と後年のインタビューで語っている。

渡辺は小学校を卒業後、西益津中学校に進学。
全国中学校サッカー大会に出場し、全国3位に入った。

中学卒業後、名門の藤枝東高校へ進学。
選手権には、名波浩、山田隆裕薩川了洋、大石尚哉、大岩剛らをようする清水商業や野々村芳和がいる清水東が出場したため、出場は叶わなかった。
1高校3年次には国体の静岡県選抜に選ばれ、ベスト4進出に貢献した。

高校卒業後、中央大学へ進学。同級生に奥原崇(FC東京)、1学年上に長谷部茂利(ヴェルディ川崎)、菅野賢一(柏レイソル)、2学年上に沢田謙太郎(柏レイソル)がいる。
大学2年次には27年ぶりとなる全日本大学サッカー選手権大会の中大の優勝に貢献。
大学3年次にはユニバーシアード日本代表に選出された。田坂和昭(ベルマーレ平塚)、服部年宏(ジュビロ磐田)らとプレーをした。

大学卒業後、大学屈指のセンターバックとして柏レイソルに入団する。

渡辺毅のJリーグ入り後

1995年3月18日サントリーシリーズ 第1節清水エスパルス戦でJリーグデビューを飾った。
元ブラジル代表ネルシーニョと最終ラインを組み、ルーキーながらリーグ戦45試合に出場。
不動の右ストッパーとして活躍した。

1997年は加茂周監督により日本代表に選出される。
8月13日、長居スタジアムで開催された国際親善試合の日本対ブラジル戦で後半途中に名良橋晃と交代で代表デビューを果たした。
ブラジル代表にはレオナルド、カフー、サンパイオ、ロナウド、ドニゼッチらそうそうたる顔ぶれが集まり、日本は0-3で敗れている。
渡辺にとっては辛い代表デビューとなり、残念ながらこの試合が最初で最後の代表マッチとなった。
またこの年はJリーグアウォーズの優秀選手に柏レイソルからただ一人選出された。

1999年も不動のセンターバックとして最終ラインで柏レイソルを支えた。
この年のJリーグカップでは、決勝戦で劇的な同点ゴールを鹿島ゴールに叩きこんだ。PK戦に突入する白熱した試合となったが柏レイソルが制し、渡辺は大会MVPに選出された。

その後も、2004年まで柏レイソルでプレー。
ベテランになっても出場機会は減らず、クラブの象徴として活躍するが、中澤聡太、永田充、近藤直也らの台頭により2004年はリーグ戦15試合の出場にとどまり現役を引退した。

渡辺毅の引退後と現在

渡辺は引退後、柏レイソルに残り、2005年から下部組織で指導者の道に進んだ。

2017年からはアカデミーダイレクター兼スカウトとして活躍している。

渡辺はワン・クラブマンとして活躍後、指導者としても柏レイソル一筋で歩んでいる。

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