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北村邦夫の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第399回】

ガンバ大阪創成期のMFとして活躍した北村邦夫。

ハードワークが持ち味で、ボール奪取能力に優れたボランチ。

足元の技術が確かで、的確なパスで前線につなぐ役目を果たした。

Jリーグで活躍する前にはフットサル日本代表としてプレーした経験もあり、繊細なボールコントロールには定評があった。

北村邦夫のJリーグ入り前


北村は1968年に静岡県に生まれた。

サッカーの名門である静岡学園に進み、MFとして活躍。同級生に遠藤孝弘(アビスパ福岡)、2学年下に鈴木正治(横浜マリノス)がいる。
全国でも有数の激戦区である静岡県予選を勝ち進めず、高校3年間で選手権への出場は叶わなかった。

高校卒業後、JSL1部の本田技研工業フットボールクラブに入団。

本田技研では背番号23を背負い、ボランチとして活躍。本田泰人古川昌明石川康黒崎久志北澤豪らとプレーした。

1991年に松下電器産業サッカー部(現ガンバ大阪)へ移籍した。

北村邦夫のJリーグ後

1993年のJリーグ開幕年は、出場機会に恵まれずリーグ戦3試合の出場に留まった。

1994年は出場機会を増やし、リーグ戦15試合に出場。10月29日のNICOSシリーズ第16節浦和レッズ戦では、前半開始直後に礒貝洋光のコーナーキックからのグラウンダーのボールをダイレクトで合わせ、Jリーグ初ゴールをマークした。

1995年は途中出場が多かったがリーグ戦18試合に出場した。NICOSシリーズ第4節サンフレッチェ広島戦ではヘディングシュートでチームの5点を決め、5-2での勝利に貢献した。

1996年には出場機会が激減した。しかし唯一の出場となった5月1日第11節ベルマーレ平塚戦では延長戦でMFムラデノビッチと交代で出場し、劇的なVゴールを決めた。

北村邦夫の引退後と現在

北村は引退後、指導者に転身。

地元静岡県で静岡城内フットボールクラブのジュニアユースの指導を始め、2009年には東海リーグの静岡FCの監督を務めた。

現在は静岡フットサルスタジアムでコーチを務めている。

北村は1989年にオランダで開催された「第1回FIFA5人制室内サッカー選手権」の日本代表として北澤豪、野田知勝矢寿延らとプレーしている。

この大会ではベルギー、カナダ、アルゼンチンと戦ったが残念ながら3戦全敗でグループリーグで敗退している。(優勝はブラジル)

1994年に、名称を「5人制サッカー」から「フットサル」と改称し、次第に世界的に広まっていくが、このころはまだミニサッカーという位置づけで、戦術も確立されていなかった。

しかしフットサルの歴史は古く、スペインではサッカー人口よりもフットサル人口の方が多いといわれている。
アメリカでは「インドア・サッカー」としてプロリーグが存在するなど、競技人口も多い。
日本でも2007年からFリーグがスタートしているが、現時点では名古屋オーシャンズがリーグ唯一のプロチームであり、プロリーグとして運営するには観客動員や選手の年俸などまだまだ課題は多い。

現在は地元・静岡県でフットサルのコーチとして活躍する北村邦夫。
今後もフットサルを広めていくためにも初代日本代表として活躍した北村にかかる期待は大きい。

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