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根占真伍の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第385回】

根占はヴェルディユース出身者特有の優れたテクニックと、抜群のサッカーセンスを持ったサッカー選手だった。

センターハーフだけでなく、ボランチ、サイドも対応できるなどプレーエリアが広く、中盤の仕事人として東京ヴェルディや横浜FC、ロアッソ熊本で活躍した。

特に印象的なシーンは、2007年J1最終節の横浜FC対浦和レッズ戦での根占だろう。

勝てば優勝の浦和レッズと、当時J1史上最速となる残り5試合でのJ2降格がすでに決定していた横浜FCの1戦。

左サイドでボールを奪った三浦カズの高速スルーパスに、ゴール前まで走りこんでいた根占真伍がダイレクトに合わせ、ネットを揺らした。

真っ赤なサポーターで埋め尽くされた日産スタジアムを一瞬で静める圧巻のゴールだった。

根占真伍のJリーグ入り前


根占は1984年に東京都に生まれた。

5歳の時にサッカーを始め、小学校4年生の時に東京ヴェルディの下部組織に入団。

中学入学後。ジュニアユースに進み、玉川高校へ進学するとヴェルディユースへ昇格した。

ユースの同期には田村直也、中島ファラン一生、菅野孝憲、保谷吉昭、大木雄己がいる。

根占は15歳から年代別日本代表に選出される。

16歳でU-16日本代表に選出。AFC U-17選手権2000に出場。
この大会で3位決定戦でベトナムに4-2で勝利し、優勝したオマーン、2位のイランとともに翌年のFIFA U-17世界選手権の出場資格を得た。

17歳で東京ヴェルディユースからただ一人U-17日本代表に選出され、FIFA U-17世界選手権に出場。
田嶋幸三監督のもと、阿部祐大朗(横浜Fマリノス) 、工藤浩平(ジェフ千葉)、茂木弘人(サンフレッチェ広島)、矢野貴章(アルビレックス新潟)、藤本淳吾(清水エスパルス)らとともに活躍した。

FIFA U-17世界選手権では、グループリーグ初戦のアメリカには1-0で勝利したものの、続くナイジェリアに0-4、フランスには1-5で敗れグループリーグで敗退している。

根占は高校3年次に、Jリーグの公式戦に出場することができる2種登録選手となった。

高校卒業後、東京ヴェルディとプロ契約を結んだ。

根占真伍のJリーグ入り後

2003年にヴェルディに入団した根占は、3月22日の1stステージ第1節ジェフユナイテッド市原戦でさっそくJリーグデビューを飾った。
同期入団は久場政朋、相馬崇人がいるが、1番早いデビューだった。

根占は、4-4-2の真ん中やボランチとしてプレーし、小林大悟や三浦淳宏らと中盤を形成。
FWの平本一樹玉乃淳エムボマらに効果的なパスを供給した。
ロリ・パウロ・サンドリ監督が第6節の浦和戦で敗戦後に解任され、コーチのレアンドロが第7節から10節まで指揮を執り、第11節からはアルディレスが監督を務めるなど慌ただしいシーズンとなったが、根占はリーグ戦15試合に出場しレギュラーとして活躍した。
第9節京都サンガ戦では後半42分にJリーグ初ゴールをマークし、5-2での勝利に貢献した。

2004年はアルディレス監督のもとで出場機会を得られず、リーグ戦試合の出場に留まる。
2005年はリーグ戦、カップ戦ともに出場はなく、ヴェルディもJ2に自動降格となった。

2006年はラモス瑠偉監督のもとで、菅原智廣山望、永井秀樹、大野敏隆、アナイウソン、久場政朋らと中盤のレギュラーを争うも、一定の出場機会を得てリーグ戦27試合に出場した。

2007年、J1に昇格した横浜FCに、ヴェルディのジウマール・シウバとともに移籍。
横浜FCは、元日本代表の奥大介久保竜彦を獲得し、シーズン途中には平本一樹、山田卓也などの実績のある選手が加入するも、前半戦は最下位となった。
根占は高木琢也監督の元でレギュラーとして活躍し、シーズン途中でジュリオ・レアルに監督が代わっても起用され続けた。

しかし横浜FCは、第13節大分トリニータ戦以降20戦未勝利(3分17敗)の状態となり早々にJ2降格が決定した。
最終節は、勝てば無条件で優勝が決まる浦和レッズと対戦。

根占を含む横浜FCの選手は、真っ赤なサポーターで埋まった日産スタジアムで意地を見せ、前半から積極的に攻撃を仕掛けた。
前半17分には左サイドでパスカットに成功した三浦カズがドリブルで駆け上がり、ゴール前のスペースに飛び込んだ根占に高速パスで合わせ、先制ゴールを決めた。
その後はワシントンや永井雄一郎らから波状攻撃を受けるも、無失点に抑え、1-0で勝利し、浦和の優勝を阻止した。

2008年は都並敏史監督の元で不動のレギュラーとして活躍し、キャリアハイとなるリーグ戦36試合に出場し4ゴールを決めた。

2009年に樋口靖洋が監督に就任すると出場機会が減り、リーグ戦22試合の出場となった。
2010年に監督が岸野靖之になると更に出場が減り、リーグ戦10試合の出場に留まると、この年で横浜FCを退団した。

2011年には岩丸史也とともにロアッソ熊本に移籍。
高木琢也監督の元でトップ下や、左ハーフとして活躍しリーグ戦27試合に出場した。

しかし2012年は大きく出場機会を減らし、この年限りでピッチを去る。28歳での引退となった。

根占真伍の引退後と現在

根占は引退後、サッカーから離れ、沖縄に移住し住宅設備関係の企業で働いている。

根占は、ヴェルディのジュニアユースでプレーしていた頃からひざの痛みと戦っていたことが引退後に明かされている。

毎日状態が微妙に変わるひざのコンディションを整えながら、ハイレベルな戦いを続けることは容易ではなかっただろう。

ヴェルディや横浜FC時代に、中盤のあるゆる場面に顔を出し、長短のパスでゲームを組み立てた根占真伍。

10年間という現役生活の中で、3チームを渡り歩き、どのチームでも中盤の仕事師として重宝された。

Jリーグ通算175試合に出場し14ゴールという闘いの記録がそれを物語っている。

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