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カタタウの現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第386回】

今でも語り草となっている2007年J1リーグ最終節。

勝てば無条件で優勝の勝ち点70の浦和レッズと、J1史上最速でJ2降格が決まっていた勝ち点13の横浜FCの試合。

横浜FCが先制し、時間が経つにつれ、悲鳴と怒号が入り混じる真っ赤に染まった日産スタジアムで、サックスブルー色のユニフォームを着たブラジル人は何度も右サイドを突破した。

彼の名を覚えている人はどれほどいるだろう。

2007年の8月に来日し、数か月だけ横浜FCに在籍したブラジル人アタッカー、カタタウ。

無名の当時21歳の若者は、2007年12月1日、Jリーグでも歴史に残る大番狂わせを演出したのだ。

カタタウのJリーグ入り前

カタタウは1986年にブラジルに生まれた。

2004年、18歳の時に、カンピオナート・ブラジレイロ・セリエAのグアラニFCでプロキャリアをスタートさせる。
1年目ながら26試合に出場し1ゴールを決める活躍を見せた。

2005年、トルコリーグのマラティアスポルへレンタル移籍し6試合に出場した。

2006年からはブラジルに戻り、セリエBのパイサンドゥSC、ECサント・アンドレ、ブラジリエンセFCを渡り歩く。

2007年6月、Jリーグで苦戦を強いられていた横浜FCからオファーが届く。

2004年当時、グアラニでともにプレーしていた元ブラジル代表MFマルコス・パウロ・アウヴェスと、浦項スティーラースでプレーしていた韓国代表DFオ・ボムソクとともに横浜FCに加入した。

横浜FCはシーズン前半戦を最下位で折り返しており、カカタウは残留をするための切り札としての獲得であった。

カタタウのJリーグ入り後

2007年7月に来日し、横浜FCに合流したカタタウだったが、リーグ戦再開後はベンチ入りできずにいた。
チームも後半戦開始となる8月11日、第19節横浜Fマリノス戦を1-8で大敗し、8月27日に高木琢也監督が解任され、ジュリオ・レアルが監督に就任した。

カタタウは9月15日の第25節FC東京戦で初めてベンチ入りをすると、後半29分に山口素弘と交代で出場しJリーグデビューを果たした。

その後も4-5-1のフォーメーションの右サイドのウイングや、4-4-2のFWとして三浦知良とコンビを組んで出場した。

カタタウは、少しずつJリーグに順応してはいたが、守備の意識の薄さや周囲との連携不足は明らかであり、攻撃にうまく絡めずにいた。根占真伍三浦淳宏から出されるボールに反応し、裏で受けるまでは良いものの、縦への突破を読まれてカットされたり、うまく抜け出してもクロスがFWに合わず、ボールはそのままラインを割ることも多かった。

横浜FCは5月26日の大分トリニータ戦以降7連敗を喫し、1度の引き分けを挟んだ後、10月20日のヴィッセル神戸戦で8連敗となり史上最速でJ2降格が決定した。

カタタウのJリーグラストマッチとなった浦和レッズ戦

横浜FCとしては苦しいシーズンとなった2007年の最終節。相手は優勝のかかった浦和レッズだった。

浦和は田中マルクス闘莉王を累積警告で欠くものの、スタメンにワシントンポンテ、永井雄一郎、長谷部誠、坪井慶介、細貝萌らが名を連ね、ベンチにも田中達也、小野伸二といった元代表選手が揃った。

対する横浜FCも、三浦知良、三浦淳宏小村徳男、山田卓也といった元代表選手がスタメンを飾った。

圧倒的に浦和が有利と言われたこの試合であったが、浦和はACLとの過密日程の影響もあってチーム状況は悪化し、直近4試合は勝利がない状態であった。

横浜FCもチーム状況は上向いているわけではなかったが、カタタウら途中加入の外国人がフィットしつつあり、前半戦にはみられなかった連携のシーンがしばしば見られるようになっていた。

試合開始直後から、横浜FCはカタタウの右サイドを経由した攻撃を何度も仕掛ける。

対峙する浦和DFネネは、カタタウのスピードについていけないシーンが目立った。
カタタウも縦への突破一辺倒ではなく、切り返して左足でシュートを放ったり、シザーズを入れて左アウトサイドを使ってPA内に切り込むなど、攻撃のバリエーションを見せた。

前半17分、左サイドでボールを奪った三浦知良がゴール前のDFとGK都築龍太の間のわずかなスペースにボールを送り込み、走りこんでいた2列目の根占真伍が押し込んで先制ゴールを決めた。

その後は、浦和レッズの怒涛の攻めを受けるも、横浜FCは意地を見せて守り抜く。

カタタウは後半になっても何度も裏のスペースへ走りこんでチャンスを演出した。この試合の解説を務めた山本昌邦氏は「こうなると1人で止めるのは難しい」とカタタウを評した。

途中、2位で浦和を追う鹿島アントラーズが、エスパルスを相手に3点目を決めて一足早く試合終了。日産スタジアムも1-0で横浜FCが勝ったままホイッスルが吹かれ、この瞬間に鹿島アントラーズの逆転優勝が決定した。

早々にJ2降格が決まっていた横浜FCが、一時は首位を独走していた浦和を下したこの試合は、逆転優勝を達成した鹿島アントラーズの報道と共に大々的に報じられることになった。

カタタウの引退後と現在

カタタウは横浜FCを退団後、ブラジルに帰国し、セリエA2のマリーリアACやポルトゥゲーザでプレー。

2015年のブラジルのクラブであるウビラタンECでのプレーを最後に、クラブチームへの所属が確認できていない。

現在36歳という年齢を考えると、現役を引退している可能性が高いだろう。

カタタウの日本での成績はリーグ戦9試合に出場でノーゴール、ノーアシスト。救うはずのチームも降格した。

切り札として獲得した助っ人外国人の成績としては、間違いなく失敗だっただろう。

しかし、2007年12月1日、Jリーグ最終節に見せたカタタウの輝きは本物だった。

この試合を観戦した私は、カタタウの契約延長もあり得るのではないかと思ったが、残念ながらブラジルに帰国するということを知り、もったいないと思ったのを覚えている。

記録に残ることはなくても、あの試合のカタタウの雄姿はいつまでも横浜FCサポーターの脳裏に残り続けるだろう。

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