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長谷川太郎の現役時代、プレースタイルや生い立ちに迫る【第420回】

絶妙なポジショニングからの飛び出しと、ゴール前での決定力に長けるストライカー長谷川太郎。

身長167センチと小柄ながら、独特なリズムから繰り出すドリブルで好機を演出した。

高校在学中に柏レイソルでデビューし、ヤマザキナビスコカップ優勝に貢献。

2005年には、ヴァンフォーレ甲府に所属しFWバレーとの息の合ったコンビで17得点を挙げて日本人得点王となり、J1昇格の立役者となった。

長谷川太郎のJリーグ入り前


長谷川は1979年に東京都足立区に生まれた。

小学校1年生の時にサッカーを始め、FC千住イーグルスに入団する。

小学校6年生の時に第1回全国少年ミニサッカー大会(現バーモンドカップ)に出場。
全国大会準優勝を飾り、長谷川は大会ベスト5に選出された。

その後、東京ヴェルディジュニアユースのセレクションを受けるも不合格となったが、柏レイソルジュニアユースのセレクションに合格し入団する。

中学校入学後は柏レイソルジュニアユースに所属し、背番号10を背負い、左サイドハーフとしてプレーした。同期にナオト・インティライミがいる。

流通経済大柏高校進学後、柏レイソルユースに昇格。
高校1年次の秋に左サイドハーフからFWにコンバートされ出場機会を掴む。

その後、高校2年次からトップチームの練習に帯同するようになったが腰椎分離症を発症し長期離脱を経験するも、リハビリの末に復帰を果たし、高校卒業後にトップチームに昇格する。

長谷川太郎のJリーグ入り後

西野朗監督に抜擢され、入団1年目の1998年3月28日第3節コンサドーレ札幌戦で、シルバと交代で出場しJリーグデビューを果たす。
しかし、ルーキーイヤーはこの1試合のみの出場に留まった。

1999年、リーグ戦は13試合無得点に終わるもヤマザキナビスコカップではアルビレックス新潟戦、セレッソ大阪戦でゴールを決める。
決勝戦の鹿島アントラーズ戦にも、後半途中に平山智規と交代で出場し攻撃のアクセントとして流れを引き寄せ、柏は終了間際に渡辺毅のゴールで同点に追いつく。
その後PK戦の末に勝利を収め、柏レイソルのタイトル獲得に貢献した。

2000年、2001年は足首の剥離骨折の影響もあり、2年間で5試合の出場で1ゴールに留まった。
この年を持って中学校から在籍した柏レイソルを退団する。

2002年、J2のアルビレックス新潟へ移籍。
反町康治監督のもとでチャンスを掴み、開幕戦の水戸ホーリーホック戦から先発出場を果たす。
その後も左サイドハーフやFWとして出場を続けるが、得点を挙げることが出来ず12試合で無得点の成績に終わり、1年限りで新潟を退団。

2003年にはトライアウトを受け、ヴァンフォーレ甲府へ移籍。
甲府加入1年目は4試合の出場に留まったが、2004年には主に途中出場で投入される機会が増える。
小倉隆史とのコンビでチャンスを演出しリーグ戦17試合に出場し3ゴールを挙げる。

2005年にはバレーが入団すると、絶妙なコンビネーションを見せて得点力も開花する。
1対1を確実に決め切るシーンが増え、この年リーグ戦44試合で17ゴールを決める活躍を見せる。
長谷川はJ2の日本人得点王となり、甲府のJ1昇格の立役者となった。

2006年はJ1での戦いとなり、シーズン序盤はバレーとのコンビで出場を続けるが、じょじょに出場機会が減少。
甲府は年間順位15位に沈み、年間得点数もワースト3位となる等、得点力不足を露呈することとなった。

2007年シーズン途中に出場機会を求め、徳島ヴォルティスへレンタル移籍。
徳島では2列目のアタッカーとして先発出場を続け、リーグ戦23試合に出場する。

徳島から契約延長の話があったが、2008年には横浜FCへ移籍。
横浜FCでは都並敏史監督のもとで、アンデルソンや難波宏明とのコンビで活躍。
アンデルソンの突破力を生かしたカウンターサッカーで勝利を重ねるも最終的に年間順位10位となり昇格は果たせずこの年で横浜FCを退団。

2009年はJFLのニューウェーブ北九州(現ギラヴァンツ北九州)へ移籍。
29歳でのJFLのチームへの移籍となったが、背番号28を背負い、FWとして出場を続け3試合連続ゴールを決めるなど活躍。
特にMF佐野裕哉とは絶妙のコンビネーションを見せた。この年、北九州は4位となり翌年のJ2昇格を果たす。

2010年はJ2ギラヴァンツ北九州でプレーし、リーグ戦27試合に出場するも北九州は年間で1勝しかできず、長谷川はこの年をもってチームを退団した。

その後、千葉県1部リーグのブリオベッカ浦安へ移籍。
2年半プレーし、2013年にインドリーグのモハメダンSCへ移籍。3ヶ月という短期契約だったが11試合で3ゴールを決め、契約延長のオファーを受けるもこの年限りで現役を引退した。

長谷川太郎の引退後と現在

長谷川は引退後、警備員のアルバイトをしながらサッカースクールで指導者をするという日々を送る。

その後、アパレル会社に就業を経験後、ストライカー育成に特化したサッカースクール「一般社団法人TRE(トレ)」を立ち上げた。

2030年W杯で得点王を輩出することを目標に掲げ、一人ひとりと向き合うことを重視して生徒の指導に当たっている。

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