日本代表の右サイドバックとして長く活躍し、ドイツ・ブンデスリーガでも存在感を示した内田篤人。

鹿島アントラーズでは高卒ルーキーながら早くからレギュラーを獲得し、Jリーグ優勝を経験。

その後ドイツへ渡り、シャルケ04ではチャンピオンズリーグの舞台でもプレーした。

日本代表ではワールドカップに2大会出場。

攻撃的な右サイドバックとして知られながら、守備でも高い能力を発揮した選手だった。

2020年、32歳で現役を引退。

内田篤人の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る。

内田篤人のプロ入り前

内田篤人は1988年3月27日、静岡県田方郡函南町に生まれた。

幼少期からサッカーを始め、中学時代は函南中学校でプレー。

高校は名門・清水東高校へ進学した。

高校時代は右サイドを主戦場とし、攻撃参加を得意とする選手として注目される。

2006年、高校卒業と同時に鹿島アントラーズへ加入。

プロの世界へ足を踏み入れた。

内田篤人の鹿島アントラーズ時代


2006年、鹿島アントラーズへ入団。

高卒ルーキーながら開幕から出場機会を得ると、徐々に右サイドバックのレギュラーへ定着していく。

2007年にはリーグ戦で30試合以上に出場。

さらに2007年、鹿島はJリーグを制覇。

内田は19歳でJリーグ優勝を経験した。

2008年、2009年にも鹿島はリーグ優勝。

史上初となるJリーグ3連覇を達成したチームの右サイドを内田が担った。

この頃から日本代表にも招集されるようになり、若くして日本を代表する右サイドバックへ成長していった。

内田篤人の日本代表


2008年、内田は日本代表デビュー。

同年には北京オリンピックにも出場した。

2010年、南アフリカワールドカップの日本代表メンバーに選出。

しかし、本大会では出場機会を得られなかった。

その後、代表の右サイドバックとして定着。

2014年ブラジルワールドカップでは3試合に出場した。

日本代表では、長谷部誠、遠藤保仁らとともにプレー。

右サイドから攻撃に参加し、前線の選手をサポートした。

内田の代表キャリアは怪我との戦いでもあった。

膝の負傷などに苦しみながらも復帰を繰り返し、日本代表で長くプレーした。

内田篤人の海外挑戦

2010年、内田はドイツのシャルケ04へ移籍した。

ブンデスリーガという新たな舞台でも、すぐに右サイドバックのポジションを獲得。

攻撃参加だけでなく、守備でも安定したプレーを見せた。

特に大きな舞台となったのがUEFAチャンピオンズリーグだった。

2010-11シーズン、シャルケはチャンピオンズリーグでベスト4へ進出。

内田も主力として大会を戦った。

2011年にはDFBポカールを制覇。

ドイツでタイトルも獲得した。

その後もシャルケで長くプレーし、チャンピオンズリーグやヨーロッパリーグなど、欧州の舞台を経験。

日本人右サイドバックとして高い評価を受けた。

内田篤人のプレースタイル

内田篤人の特徴は、攻守のバランスにあった。

右サイドを上下動する運動量。

味方との連係。

そして状況に応じた判断力。

特に攻撃では、単純にボールを前へ運ぶだけではなかった。

味方の動きを見ながらオーバーラップし、相手DFの背後へ入り込む。

そしてクロスを入れる。

一方で、内田は守備でも高い能力を持っていた。

相手との距離を保ちながらコースを限定し、無理に飛び込まずにボールを奪う。

サイドバックは攻撃参加した後、すぐに守備へ戻らなければならない。

内田はその切り替えが速かった。

また、周囲を見ながらプレーする能力にも優れていた。

自分が攻撃へ出るべきなのか。

味方をサポートするべきなのか。

それとも守備を優先するべきなのか。

状況を判断してプレーを選択する。

派手なドリブルで観客を沸かせるタイプではない。

しかし、チームにとって必要なプレーを選択できる選手だった。

シャルケでは世界トップクラスの選手たちと対戦。

チャンピオンズリーグで高いレベルの経験を積んだことも、内田のプレーを成長させた。

内田篤人の引退と現在

2017年、内田は鹿島アントラーズへ復帰。

しかし、怪我の影響もあり、以前のようにコンスタントに出場することは難しくなった。

その後、ドイツのウニオン・ベルリンを経て再び鹿島へ戻る。

2020年8月。

内田は現役引退を発表した。

32歳。

まだ若い年齢での引退だった。

しかし、長年苦しんできた怪我もあり、現役生活に区切りをつけた。

鹿島ではJリーグ優勝を3度経験。

シャルケではDFBポカール優勝、チャンピオンズリーグベスト4。

日本代表ではワールドカップにも2大会出場した。

内田篤人は、華やかなキャリアの一方で、怪我との戦いを続けた選手でもあった。

それでもピッチに立った時には、右サイドを何度も駆け上がった。

攻撃に参加し、守備へ戻る。

味方を助け、チームのために走る。

そして、世界最高峰の舞台でも日本人右サイドバックとしてプレーした。

現役引退後は解説者として活動するほか、サッカー界で幅広く活動。

現役時代とは違う形で、サッカーの魅力を伝えている。

鹿島で若くしてタイトルを獲得し、ドイツへ渡って欧州の舞台で戦った内田篤人。

怪我に苦しみながらも、最後まで自分のスタイルを貫いた。

日本を代表する右サイドバックとして残した足跡は、今も多くのサッカーファンの記憶に残っている。

選手一覧