岡崎慎司の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第523回】
泥臭くゴールを奪う。
最後までボールを追いかける。
味方のために走る。
そして、どんな状況でもゴールを諦めない。
岡崎慎司は、そんな言葉がよく似合うストライカーだった。
清水エスパルスでプロ入りすると、徐々に頭角を現し日本代表へ。
ドイツではシュトゥットガルト、マインツでプレーし、イングランドではレスター・シティへ移籍した。
そして2015-16シーズン。
岡崎はレスターの一員として、クラブ史上初となるプレミアリーグ優勝を経験する。
その後はスペインへ渡り、ウエスカではチームの1部昇格にも貢献した。
日本代表では119試合に出場し50ゴール。
ワールドカップには2010年、2014年、2018年と3大会連続で出場した。
2024年。
ベルギーのシント=トロイデンで現役を引退。
日本を代表するストライカーとして、長く第一線で戦い続けた。
決して天才型のFWではなかった。
しかし、誰よりも走り、誰よりもゴールに向かい続けた。
岡崎慎司の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る。
岡崎慎司のJリーグ入り前
岡崎慎司は1986年4月16日、兵庫県宝塚市に生まれた。
小学2年生の時、兄の影響でサッカーを始める。
宝塚ジュニアFC、宝塚ジュニアユースFCでプレーし、中学時代には兵庫県選抜にも選出された。
中学卒業後は、兵庫県の強豪・滝川第二高校へ進学。
高校1年生の頃からレギュラーとしてプレーし、3年生になるとキャプテンを務めた。
高校時代には全国高校総体や全国高校サッカー選手権にも出場。
滝川第二高校では、後にJリーグで活躍する森島康仁ともプレーしている。
高校時代の岡崎は、現在のような日本を代表するストライカーとして知られていたわけではない。
しかし、ゴールへの執念と豊富な運動量を武器に、前線で存在感を示していた。
そして高校卒業後、岡崎は清水エスパルスへ加入する。
2005年。
18歳でプロサッカー選手となった。
岡崎慎司のJリーグ入り後
2005年、清水エスパルスに加入。
しかし、プロ入り当初から順風満帆だったわけではない。
清水には多くのFWが在籍しており、岡崎は簡単にレギュラーを獲得することができなかった。
後に岡崎自身も、プロ入り当初は自分がサッカーについて何も知らなかったと振り返っている。
それでも、岡崎は練習を続けた。
そして少しずつ出場機会を増やしていく。
2005年12月。
清水エスパルスでJリーグ初ゴールを記録。
その後も着実に成長していった。
2007年にはリーグ戦で得点を重ね、徐々に清水の攻撃を担う存在となる。
2008年には北京オリンピックに出場。
同年10月、UAE代表戦で日本代表デビューを果たした。
ここから岡崎のキャリアは大きく動き始める。
2009年。
日本代表でコンスタントに出場するようになると、得点を量産。
2010年の南アフリカワールドカップ出場も果たした。
清水でも得点力を高め、2009年にはJリーグで自己最多となる得点を記録。
日本を代表するFWへと成長していった。
そして2011年。
岡崎は新たな挑戦を決断する。
ドイツ・ブンデスリーガのシュトゥットガルトへ移籍した。
岡崎慎司の海外挑戦
2011年、岡崎はドイツへ渡った。
加入したのはVfBシュトゥットガルト。
日本を離れ、ヨーロッパのトップレベルでプレーすることになった。
当時のブンデスリーガには、香川真司や長谷部誠ら日本人選手も多くプレーしていた。
岡崎はドイツでも持ち前の運動量を発揮。
ゴール前で相手DFの隙を狙い、前線からの守備にも積極的に参加した。
そして2013年。
岡崎はマインツへ移籍する。
ここで大きく飛躍した。
マインツではFWとして起用され、得点を量産。
2013-14シーズンにはリーグ戦15ゴールを記録した。
日本人選手がブンデスリーガでシーズン15ゴールを記録するという大きな成果だった。
岡崎の評価は一気に高まっていく。
そして2015年。
岡崎にとって、キャリア最大の転機が訪れる。
イングランド・プレミアリーグのレスター・シティへ移籍した。
レスター・シティでのプレミアリーグ優勝
2015年。
岡崎はレスター・シティへ移籍した。
当時のレスターは、プレミアリーグの強豪という存在ではなかった。
しかし、2015-16シーズン。
レスターは快進撃を続ける。
ジェイミー・ヴァーディ、リヤド・マフレズらとともに、岡崎もチームの一員として戦った。
岡崎に求められた役割は、単純にゴールを奪うことだけではなかった。
前線から走る。
相手DFにプレッシャーをかける。
ボールを追う。
味方のスペースを作る。
そして、チャンスが来ればゴールを狙う。
岡崎は献身的なプレーでチームに貢献した。
2016年5月。
レスター・シティがプレミアリーグ優勝を決める。
クラブ創設以来初となる歴史的な優勝だった。
岡崎もその優勝メンバーの一人となった。
日本人選手がプレミアリーグの優勝チームの一員となったことも、大きな話題となった。
岡崎にとって、長年追い続けてきた夢の一つが現実になった瞬間だった。
岡崎慎司の日本代表での活躍
岡崎は2008年に日本代表デビュー。
その後、日本代表の中心選手として長くプレーした。
2010年南アフリカワールドカップ。
2014年ブラジルワールドカップ。
2018年ロシアワールドカップ。
3大会連続でワールドカップに出場した。
日本代表では、本田圭佑、香川真司、長友佑都、長谷部誠、遠藤保仁らとともにプレー。
多くのスター選手が揃った日本代表の中でも、岡崎は前線で献身的な役割を担った。
特に印象的だったのが2010年代の日本代表だ。
本田が攻撃の中心として存在感を示し、香川が高い技術で攻撃を作る。
長友が左サイドを駆け上がり、長谷部と遠藤が中盤を支える。
その中で岡崎は、前線を走り続けた。
ゴール前へ飛び込む。
相手DFの裏へ抜ける。
味方がボールを持った瞬間に動き出す。
そして、こぼれ球にも反応する。
2011年のアジアカップでは日本の優勝に貢献。
2015年には日本代表通算50ゴールに到達した。
最終的に日本代表では119試合に出場し、50ゴールを記録。
日本代表歴代でも屈指の得点数を残した。
ワールドカップでは3大会に出場。
大舞台でもゴールを決め、国際舞台で結果を残した。
岡崎慎司のプレースタイル
岡崎慎司の最大の特徴は、ゴール前での「嗅覚」だ。
ボールがどこへこぼれるのか。
DFがどこを見ているのか。
味方がどのタイミングでクロスを上げるのか。
その瞬間を察知して、ゴール前へ入り込む。
岡崎のゴールには、派手なドリブル突破は少ない。
相手を何人も抜き去るわけでもない。
強烈なミドルシュートを何度も決めるわけでもない。
しかし、気がつけばゴール前にいる。
そして、足や頭を伸ばしてボールをゴールへ押し込む。
それが岡崎だった。
特にヘディングは大きな武器だった。
身長は決して大型FWと呼べるほどではない。
それでも、クロスに合わせるタイミングが抜群にうまかった。
相手DFの背後へ入り込む。
一瞬だけマークを外す。
そしてボールが来た瞬間に飛び込む。
この一連の動きが非常に速い。
また、岡崎を語るうえで「運動量」も欠かせない。
FWでありながら、守備にも積極的に参加した。
相手DFやGKにプレッシャーをかける。
ボールを追いかける。
味方が奪った瞬間には前へ走る。
攻撃と守備を繰り返す。
その献身性は、レスター時代にも大きな武器となった。
岡崎自身がゴールを決めなくても、岡崎の動きによって味方にスペースが生まれる。
味方FWが走り込むための道を作る。
相手DFを引き連れる。
守備を動かす。
つまり、岡崎は得点だけではなく「ゴールを生み出すための動き」もできるFWだった。
そして、何よりも岡崎にはゴールへの執念があった。
ボールが来る可能性が少しでもあるなら走る。
シュートが打てるなら身体を投げ出す。
倒れてもすぐに立ち上がる。
相手DFに囲まれてもゴールを狙う。
こうしたプレーを90分間続ける。
岡崎のゴールには、こうした積み重ねが詰まっていた。
日本代表でともにプレーしたFWには、高原直泰や久保竜彦、柳沢敦らがいる。
高原は強烈なシュートと得点力。
久保は圧倒的な身体能力。
柳沢は卓越した動き出しとチャンスメイク。
それぞれに異なる特徴を持っていた。
その中で岡崎は、運動量とゴール前への入り方、そして最後まで諦めない姿勢を武器に日本代表のFWとして生き残った。
FWはゴールを決めなければ評価されにくいポジションだ。
しかし岡崎の場合、ゴールを決めていない時間にもチームへ貢献していた。
相手を追いかける。
味方のために走る。
スペースを作る。
そして最後にゴールを決める。
それが岡崎慎司というFWだった。
岡崎慎司のスペイン挑戦
2019年。
岡崎はレスターを退団し、スペインへ渡った。
最初はマラガへ加入するものの、登録上の問題などもあり短期間で退団。
その後、スペイン2部のウエスカへ移籍した。
ウエスカでは持ち前の得点力を発揮。
2019-20シーズンにはリーグ戦12ゴールを記録し、チームの1部昇格に大きく貢献した。
スペイン1部でもプレー。
その後は再び2部のカルタヘナへ移籍した。
ドイツ、イングランド、スペイン。
岡崎はヨーロッパの異なるサッカー文化の中でプレーを続けた。
そして2022年。
ベルギーのシント=トロイデンへ移籍した。
岡崎慎司の引退と現在
2022年からシント=トロイデンでプレー。
しかし、2023-24シーズンは怪我にも悩まされた。
2024年2月。
岡崎は2023-24シーズン終了後に現役を引退することを発表した。
「自分に限界を感じた」と本人が語ったように、長年にわたって酷使してきた身体との戦いも、引退を決断した理由の一つだった。
そして2024年6月、正式に引退会見を行った。
シント=トロイデンからはアンバサダー就任も発表され、現役選手としてではなく、クラブとサッカーをつなぐ立場で活動することになった。
岡崎慎司のキャリアを振り返ると、決して最初からエリートだったわけではない。
清水エスパルスに入った当初も、FWの序列では下位だった。
そこから練習を重ね、ゴールを積み重ね、日本代表へ。
そしてドイツへ渡り、ブンデスリーガで得点を重ねた。
プレミアリーグへ移籍すると、レスターで歴史的な優勝を経験。
スペインではウエスカを1部へ押し上げた。
最後はベルギーで現役生活を終えた。
日本代表では119試合50ゴール。
ワールドカップには3大会連続で出場した。
これだけの実績を残した日本代表FWだが、岡崎のキャリアを数字だけで語ることはできない。
岡崎の魅力は、ゴールを決めるために何度でも走り続けたことにある。
一度のチャンスで決められなくても、次のチャンスを待つ。
相手に倒されても立ち上がる。
シュートを外しても、またゴール前へ走る。
そして、最後にはボールをゴールへ押し込む。
華麗さではなく泥臭さ。
才能だけではなく努力。
自分が目立つことではなく、チームのために走る。
それが岡崎慎司のサッカーだった。
レスター・シティでプレミアリーグ優勝を経験したことは、岡崎のキャリアを象徴する出来事の一つだろう。
しかし、それ以上に印象に残るのは、どのクラブでも自分の役割を理解し、最後まで全力でプレーした姿ではないだろうか。
清水エスパルスでプロとしての第一歩を踏み出し、シュトゥットガルト、マインツ、レスター、マラガ、ウエスカ、カルタヘナ、シント=トロイデン。
多くのクラブを渡り歩きながら、岡崎はその場所で必要とされるFWであり続けた。
そして2024年。
長い現役生活に幕を下ろした。
日本代表で50ゴールを記録したストライカー。
プレミアリーグ優勝を経験した日本人選手。
そして、最後までゴールを追い続けたFW。
岡崎慎司が残したものは、単なるゴール数やタイトルだけではない。
「最後まで諦めずに走る」。
その姿勢こそが、岡崎慎司というサッカー選手を最もよく表している。
どんなに苦しい試合でも、最後の最後までゴールを目指す。
その姿を見て、多くのサッカーファンが岡崎を応援した。
日本代表のユニフォームを着てゴールへ飛び込んだ姿。
レスターのユニフォームを着てプレミアリーグの舞台で戦った姿。
そして最後にシント=トロイデンでスパイクを脱いだ姿。
長年にわたって日本サッカーを支えたストライカー、岡崎慎司。
その名前は、これからも日本サッカーの歴史に残り続けるだろう。



