森本貴幸の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第509回】
15歳でJリーグデビューを果たし、わずか2か月足らずでゴールを決めた「怪物」森本貴幸。
当時15歳11か月28日でのゴールはJリーグ最年少記録となり、一躍全国から注目を集める存在となった。
2006年には18歳でイタリア・セリエAのカターニアへ移籍。
日本を飛び出し、海外の屈強なDFを相手にゴールを重ねた。
2010年には南アフリカワールドカップ日本代表にも選出されるなど、若くして日本サッカー界の期待を背負ったストライカーだった。
今回はそんな森本貴幸の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫っていく。
森本貴幸のJリーグ入り前
森本は1988年に神奈川県川崎市に生まれた。
幼少期からサッカーを始め、津田山FC、読売SCジュニア、ヴェルディジュニアを経てヴェルディの下部組織でプレーする。
中学時代はヴェルディジュニアユースに所属。
中学3年生になると、当時東京ヴェルディを率いていたオズワルド・アルディレス監督の目に留まり、トップチームの練習に参加するようになる。
そこで才能を見せた森本は、トップチームの選手たちに交じって練習を続けることになった。
そして2004年3月13日。
まだ中学3年生だった森本は、アウェイで行われたジュビロ磐田戦で後半から途中出場。
15歳10か月6日でのJリーグデビューとなった。
これは当時のJリーグ最年少出場記録だった。
その後も出場機会を与えられ、2004年5月5日のジェフ市原戦で待望のJリーグ初ゴールを決める。
15歳11か月28日。
このゴールによって、当時のJリーグ最年少得点記録を更新した。
さらにこのシーズンはリーグ戦22試合に出場して4得点。
史上最年少となる16歳でJリーグ新人王にも選ばれた。
15歳の少年がプロの世界で結果を残したことで、森本の名前は一気に全国へ知れ渡ることになる。
森本貴幸のJリーグ入り後
2005年も東京ヴェルディでプレー。
リーグ戦18試合に出場し1得点を記録する。
この年はナビスコカップでも2得点を挙げるなど、16歳ながらトップチームで経験を積んだ。
しかし東京ヴェルディは成績が低迷。
2005年シーズン終了後、クラブはJ2へ降格することになった。
2006年、森本はJ2でプレー。
6試合に出場した後、18歳になる直前に大きな決断をする。
イタリア・セリエAのカターニアへ移籍することになった。
18歳での海外挑戦。
日本で「将来の日本代表」と期待された少年は、今度は世界最高峰のリーグの一つへ飛び込んでいった。
カターニア加入後は徐々に出場機会を増やしていく。
2007-08シーズンにはリーグ戦14試合に出場。
そして2008-09シーズンには23試合に出場して7得点を記録した。
セリエAでプレーする日本人FWとして、その存在感を高めていった。
2009-10シーズンもリーグ戦27試合に出場して5得点。
カターニアで主力としてプレーするまでに成長した。
2010年には南アフリカワールドカップ日本代表にも選出される。
本大会では出場機会こそなかったものの、15歳でJリーグに登場した森本は、22歳でワールドカップの舞台までたどり着いた。
しかし、その後は怪我に苦しめられることになる。
右膝の負傷などによりコンディションを崩し、2011年には手術も経験。
代表からも徐々に遠ざかっていった。
それでも2012年には日本代表に復帰。
同年にはイタリアのノヴァーラでもプレーした。
その後は再びカターニアへ戻り、2013年にはUAEのアル・ナスルSCへ移籍。
海外で新たな挑戦を続けた。
2013年、森本は7年ぶりに日本へ復帰する。
移籍先はジェフユナイテッド千葉。
2014年にはリーグ戦34試合に出場して10得点を記録するなど、J2で再び得点力を発揮した。
2015年まで千葉でプレーすると、2016年には故郷・川崎の川崎フロンターレへ移籍。
2017年にはリーグ戦11試合で3得点を記録。
また天皇杯では4得点を挙げるなど活躍し、川崎フロンターレのJ1初優勝を経験した。
2018年からはアビスパ福岡へ移籍。
福岡では2018年にJ2で27試合6得点を記録した。
しかし2020年、福岡との契約を解除。
32歳となった森本は再び海外へ向かう。
移籍先はギリシャ3部リーグのAEPコザニ。
15歳で日本のトップリーグに登場したFWは、30代になっても海外での挑戦を続けていた。
森本貴幸のプレースタイル
森本は180cmの恵まれた体格を生かした力強いプレーが持ち味。
相手DFとの競り合いを恐れず、身体をぶつけながらゴールへ向かう。
また、スピードを生かしてDFラインの裏へ抜け出す動きにも優れていた。
若い頃からゴール前での思い切りの良さがあり、FWとしてゴールへ向かう姿勢も魅力だった。
15歳でJリーグの舞台に立ったことからも分かるように、森本は若い頃からフィジカル面でも高い能力を持っていた。
そのプレースタイルから、かつては「和製ロナウド」と呼ばれることもあった。
一方で、度重なる怪我によってコンディションを維持することに苦しんだ時期も長かった。
それでも日本、イタリア、UAE、ギリシャ、そして台湾と舞台を変えながらプレーを続けた。
2022年には台湾の台中FUTUROへ移籍。
2023年7月までプレーし、プロ生活20年目を迎えた。
15歳でプロデビューした少年は、34歳になるまで現役を続けた。
森本貴幸の引退後と現在
森本は2023年まで台中FUTUROでプレー。
2023年7月2日の試合が台湾での最後の試合となった。
15歳でJリーグの最年少記録を作った少年は、約20年にわたる長い現役生活を終えた。
日本代表では国際Aマッチ10試合に出場して3得点。
2010年南アフリカワールドカップのメンバーにも選ばれた。
Jリーグでは東京ヴェルディ、ジェフユナイテッド千葉、川崎フロンターレ、アビスパ福岡でプレー。
J1通算62試合10得点、J2通算132試合24得点を記録している。
海外ではイタリア・セリエAを中心にプレーし、セリエA通算104試合19得点という記録を残した。
15歳でプロの世界へ飛び込んだ森本貴幸。
当時は誰もが、その先に日本を代表するストライカーとしての輝かしい未来を想像した。
実際にセリエAへ渡り、日本代表としてワールドカップにも出場した。
しかし、怪我や出場機会の減少など、決して順風満帆なキャリアではなかった。
それでも森本は何度も新しい場所へ挑戦した。
日本へ戻ってからも、故郷の川崎でJ1優勝を経験。
32歳になってからも海外へ渡り、最後は台湾でプレーした。
「15歳で最年少ゴールを決めた天才」。
森本貴幸を語るとき、この言葉が最初に出てくるのは仕方のないことかもしれない。
しかし、彼のキャリアの本当の価値は、その後にあるのではないだろうか。
早くから注目され、大きな期待を背負い、怪我にも苦しみながら、それでも20年近くピッチに立ち続けた。
15歳の少年が見せた輝きだけではなく、その後の苦悩や挑戦まで含めて、森本貴幸という一人のサッカー選手の物語なのである。


