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佐藤昌吉の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第431回】

左サイドバックやFWとして京都パープルサンガ、大宮アルディージャで活躍した佐藤昌吉。

チームトップレベルの俊足を生かしたオーバーラップが魅力の攻撃型サイドバックとしてプレーした。

1999年、京都パープルサンガから大宮アルディージャに移籍。同年の開幕戦であるヴァンフォーレ甲府との試合では公式戦初ゴールをフリーキックで決めた。

佐藤昌吉のJリーグ入り前


佐藤は1971年に青森県に生まれた。

小学校でサッカーを始め、中学校卒業後に名門である青森県立五戸高等学校へ進学。
同級生に下平隆宏(柏レイソル)がいる。

高校1年次に青森県代表として選手権に出場するも、1回戦で南宇和にPK戦の末に敗れている。

高校2年次から2年連続でインターハイに出場。

高校3年次には青森県選抜に選出され、国体に出場した。
高校3年次の選手権では1回戦で前園真聖藤山竜仁らのいる鹿児島実業に1-2で敗れた。

高校卒業後、JSL2部の日本鋼管サッカー部(NKK)に入部する。

1991年、入団1年目から出場の機会を掴む。
神田勝利やジェルソンらの活躍で1993年シーズンはリーグ戦3位に入るが、佐藤は4試合の出場に留まった。

1994年には同じJFLの京都パープルサンガへ移籍。
同年の天皇杯関西代表決定戦準決勝のセントラル神戸戦では得点を決め、勝利に貢献した。
その後も先発として出場を続けるも準々決勝でガンバ大阪に敗れている。

1995年にはリーグ戦18試合に出場し京都のJリーグ昇格に貢献した。

佐藤昌吉のJリーグ入り後

1996年、リーグ戦での出場は1試合に留まるもヤマザキナビスコカップではFWとして9試合に出場。
ブラジル人FWハウジネイと2トップを組み、元日本代表のラモス瑠偉、山口敏弘とともにプレーし、俊足を生かした飛び出しで攻撃のアクセントとなった。

1997年はサイドバックやMFなど、様々なポジションを経験しリーグ戦16試合に出場した。

1998年は、大森健作岩本輝雄という左のスペシャリストが加入し、競争が激化。
開幕戦のジュビロ磐田戦では岩本と交代で後半途中から出場するも、試合は0-2で敗れている。
その後も途中出場が続くも、出場機会は多くなく、リーグ戦7試合の出場に留まった。

1999年は大宮アルディージャに移籍。
開幕戦からスタメン出場を飾ると、ペナルティエリア手前で得たフリーキックを左足で見事に決め、リーグ戦初ゴールをマーク。
佐藤のこのゴールは大宮のシーズン初ゴールとなった。

リーグ戦序盤はコンスタントに出場を続けるも、シーズン中盤からは控えに回ることが多くなり、この年を持って現役を引退した。

佐藤昌吉の引退後と現在

佐藤は引退後、指導者に転身。

杉並FCや大宮アルディージャサッカースクールなどで指導者として活動。

その後、さいたま市内にヴィオレータフットボールクラブを設立し、小学生への指導を行っている。

クラブの卒業生にはU-17日本代表が輩出されており、今後の活躍が期待される。

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