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大石尚哉の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第426回】

積極的な飛び出しと反応の速さが持ち味のGK大石尚哉。

清水商業時代に2年連続でインターハイ、全日本ユースを制覇し、筑波大学時代は関東リーグで3年連続優勝の実績を持つ。

ヴェルディ入団後、層の厚さに苦しんだが、日本代表GK菊池新吉の不在時は、その穴を埋める活躍を見せた。

大石尚哉のJリーグ入り前


大石尚哉は1972年に静岡県清水市に生まれた。

小学校入学後にサッカーを始め、静岡県静岡市清水区(旧・清水市)で結成されるジュニアサッカー選抜チームである清水FCに選抜された。

清水一中入学後は正GKとして活躍し、名門清水商業に進学する。
同学年に薩川了洋(横浜フリューゲルス)、山田隆裕(横浜マリノス)、大岩剛(名古屋グランパス)、名波浩(ジュビロ磐田)、1学年下に望月重良(名古屋グランパス)、西ヶ谷隆之(名古屋グランパス)がいる。
1学年上には藤田俊哉(ジュビロ磐田)、2学年上には三浦文丈(横浜マリノス)、太田貴光(清水エスパルス)、古賀正人(横浜マリノス)がいた。

大石は高校2年次から正GKとして活躍。
選手権は準決勝で清水東に敗れたが、インターハイと全日本ユースでは全国優勝を果たした。

高校3年次には2年連続でインターハイと全日本ユースで優勝。
選手権にも出場したが、3回戦で大宮東にPK戦の末に敗れている。

高校卒業後、筑波大学に進学。同学年に大岩剛がいる。
1学年上に藤田俊哉、服部浩紀(横浜フリューゲルス)、木山隆之(ガンバ大阪)、1学年下に望月重良、上野優作(アビスパ福岡)がいた。

大学では総理大臣杯を制覇し、関東大学サッカーリーグ戦は3年連続で優勝を果たした。

大学卒業後、ヴェルディ川崎へ入団する。

大石尚哉のJリーグ入り後

1995年に入団後、ゼロックススーパーカップで藤川孝幸のサブとしてベンチ入りを果たす。
リーグ戦も開幕戦からベンチ入りを続け、1995年4月29日第12節浦和レッズ戦でJリーグデビューを果たした。
その後も先発出場を続け、第15節柏レイソル戦ではクリーンシートでの勝利に貢献した。

しかしその後は菊池新吉が復帰したため、ベンチ入りメンバーからも外れることになった。

1996年はリーグ戦の出場機会はなく、1997年は本並健治がシーズン途中にレンタル加入し、読売ユースから加入2年目の小針清允も台頭し競争が激化。
リーグ戦でベンチ入りを続け、菊池新吉が怪我で離脱した際に穴を埋め、9試合に出場した。

1998年には元日本代表GKの前川和也が古傷の肩の手術を行うことになったため、サンフレッチェ広島へレンタル移籍。
しかし下田崇が正GKとして起用されたため、出場機会はなかった。同年、9月にヴェルディへ復帰するもこの年を持って契約満了となった。

1999年はJFLの横浜FCへ加入。
正GKとしてチームを支え、年間優勝に貢献した。
しかし翌年は本田技研から加入した水原大樹にポジションを奪われ、サブに回った。

2001年はJFLのジヤトコサッカー部へ移籍。
松橋力蔵新村泰彦、葛野昌宏らとともに活躍し、リーグ戦3位に入る躍進を見せた。
しかし翌年はリーグ戦16位に沈み、この年を持ってジヤトコを退団し現役を引退した。

大石尚哉の引退後と現在

大石は引退後、2004年からFC.LAGO河口湖のGKコーチとして指導を行っている。

大石は高校時代、名波浩や大岩剛、望月重良、山田隆裕ら後の日本代表となる選手たちと共に史上最強といわれた当時の清水商業でゴールマウスを守った。

Jリーグでは目立った活躍は出来なかったが、この高校時代の経験は若い世代へ継承されていくだろう。

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