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水原大樹の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第409回】

四日市中央工業高校時代は3年連続で選手権に出場し、守護神として全国制覇を果たしたGK水原大樹。

世代屈指のGKとして名古屋グランパスエイトに入団するも、出場機会に恵まれず横浜FCや東京ヴェルディなどを渡り歩いた。

現役晩年は、安定したセービングと的確なコーチングでチームを支え、ギラヴァンツ北九州のJ2昇格に貢献し存在感を示した。

水原大樹のJリーグ入り前

水原は1975年に奈良県生駒郡平群町に生まれた。

小学校入学後、平群東FCでサッカーを始める。

平群中学校サッカー部で活躍後、名門の四日市中央工業高校へ進学。1学年上に中西永輔(ジェフ市原)、小倉隆史(名古屋グランパスエイト)、中田一三(横浜フリューゲルス)、2学年下に萩村滋則(柏レイソル)、若松大樹(清水エスパルス)、坂井浩(ベルマーレ平塚)がいる。

水原は高校1年次で身長180センチを超す恵まれた体格を生かし、背番号12を与えられ、ベンチ入りを果たす。
城雄士監督のもとで3年連続で選手権に出場する。

高校2年次には正GKとして活躍。キャプテンの中田一三、エースの小倉隆史、SBの中西永輔とともに全国制覇を果たす。
また、四中工三羽烏と呼ばれた3人と共に三重県選抜に選出され、国体に出場した。
インターハイではベスト4入りを果たしている。

高校3年次にはキャプテンとしてチームを牽引し、選手権ではベスト8に進出した。この年の日本高校選抜に松波正信三浦淳宏、阿部敏之、室井市衛、永井篤志、吉成浩司、江原淳史、佐藤尽らとともに選出されている。

高校卒業後、名古屋グランパスエイトに入団する。

水原大樹のJリーグ入り後

1993年、Jリーグ開幕年に名古屋に入団した水原だったが、正GKには伊藤裕二が起用され、ベンチには石川研が入ったため、この年のリーグ戦の出場はなかったが、ヤマザキナビスコカップではベンチ入りを果たしている。

1995年3月25日第3節ジュビロ磐田戦でベンチ入りを果たすと、前半12分に負傷した伊藤裕二と交代でJリーグ初出場を果たした。
しかし、この試合でスキラッチや中山雅史から点を決められ、2-6で敗れている。

その後は1998年まで名古屋に在籍するも、出場機会はなく退団する。

1999年、JFLの本田技研工業株式会社サッカー部に入団。
正GKとしてリーグ戦17試合に出場。またこの年JFL選抜に選出され、バングラデシュで開催されたバンガバンドゥカップ1999に出場し、優勝を果たした。

2000年も本田技研でプレーし、年間順位2位に貢献。
同じチームの吉澤英生、古橋達弥らとともにベスト11に選出された。

2001年はJ2の横浜FCに移籍。
開幕戦の湘南ベルマーレ戦から正GKとして出場。この試合のベルマーレのGKは名古屋でともに戦った伊藤裕二だった。このシーズンはリーグ戦44試合中42試合に出場した。

2002年も正GKとしてゴールを守りリーグ戦39試合に出場。
しかし順位は最下位となり失点数もリーグ最下位であった。

2003年はシーズン序盤は正GKとして出場するが、後半は菅野孝憲が起用されるようになり出場機会を失った。

2004年から2006年まで東京ヴェルディでプレー。
高木義成の控えとして開幕戦からベンチ入りを続けるも、出場機会は3年間でリーグ戦9試合に留まった。

2007年は九州リーグのニューウェーブ北九州に移籍。
正GKとしてチームを支え、北九州は全国地域サッカーリーグ決勝大会で準優勝し、翌年日本フットボールリーグ(JFL)へ昇格した。

2008年、2009年は全試合出場を果たし、2009年は2000年以来となるJFLベスト11に選出され、チームもJ2昇格を果たした。
北九州には2011年まで在籍し、経験豊富なベテランとしてチームを支えた。

2012年はカマタマーレ讃岐でプレーし、2013年は地元のヴィアティン三重に移籍し、1シーズンプレーして現役を引退した。

水原大樹の引退後と現在

水原は現役引退後、横浜FCの下部組織でGKコーチを務めた。

その後、湘南ベルマーレでU-18GKコーチとアカデミーGKチーフコーチを務めている。

 

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