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橋本雄二の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第467回】

身長185センチ83キロという恵まれた体格を生かしたセンターバック橋本雄二。

空中戦に絶対的な強さを持ち、高い打点で跳ね返すヘディングが魅力。

1995年にガンバ大阪でレギュラーを掴むと、屈強な外国人FWと対等に渡り合える数少ない日本人DFとして活躍した。

橋本雄二のJリーグ入り前

橋本は1970年に茨城県日立市に生まれた。

日立市立成沢小学校入学後にサッカーを始めた。

多賀中学校サッカー部で活躍後、茨城県立日立工業高等学校へ進学。
多賀中学校からの同級生に入井和久(鹿島アントラーズ)がいる。

高校時代は水戸商業や古河第一が立ち塞がり、選手権への出場は叶わなかったがユース代表に選出されている。

高校を卒業後、東海大学へ進学。
同学年に保坂信之(ヴェルディ川崎)、1学年上に澤登正朗(清水エスパルス)、飯島寿久(名古屋グランパス)、後藤太郎(名古屋グランパス)、加藤望(柏レイソル)、礒貝洋光(ガンバ大阪)、2学年上に山口素弘(横浜フリューゲルス)、岡中勇人(ガンバ大阪)、1学年下に田坂和昭(ベルマーレ平塚)がいる。

大学時代は全日本大学サッカー選手権大会や総理大臣杯での優勝に貢献。
この活躍を受け、橋本はユニバーシアード日本代表やバルセロナオリンピック日本代表候補に選出されている。

大学卒業後、1993年にガンバ大阪へ入団する。
同期入団に埜下荘司(大阪商業大学)、小椋哲也(早稲田大学)、山口敏弘(近畿大学)、松波正信(帝京)、木場昌雄(滝川第二)、加藤豪宏(山城)、山村博土(静岡学園)、松田和也(ルネス学園甲賀)、中村洋仁(北陽)などがいる。

橋本雄二のJリーグ入り後

入団1年目の1993年は1試合の出場に留まるも、2年目の1994年シーズンは開幕戦からベンチ入りを果たし、途中出場が多かったがリーグ戦15試合に出場した。

1995年はセンターバックに定着し、元ソビエト連邦代表のツベイバとの屈強なコンビでガンバ大阪のDFラインを支えた。
NICOSシリーズは實好礼忠宮本恒靖とのコンビで3バックを形成。
このシーズンはキャリアハイとなるリーグ戦37試合に出場した。

しかし1996年は元ユーゴスラビア代表のバブンスキーの加入もあり出場機会が激減。
唯一の出場となった第20節横浜マリノス戦も5失点を喫し、途中交代となった。

1997年はJFLのサガン鳥栖へ移籍。
鳥栖では背番号6を背負い、守備の中心として活躍。
東海大学の先輩である後藤太郎や古賀正人、大森征之、田中哲也、塚本明正などの元Jリーガーとともにチームを支えた。

1998年も不動のレギュラーとしてリーグ戦24試合に出場するもこの年限りで現役を引退。
6年間のプロ生活に別れを告げた。

橋本雄二の引退後と現在

橋本は引退後、指導者に転身。
1999年に関西リーグの佐川急便大阪SCのコーチに就任し、JFL昇格後は監督を務めた。

その後は関西リーグのバンディオンセ加古川にて強化部長、監督、レイジェンド滋賀FCの監督を歴任。

2023年からは地元である日立市のサッカークラブ「AIK SPORTS CLUB」の監督に就任している。

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