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高松大樹の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第468回】

屈強な体格を生かしたパワー型のセンターフォワード高松大樹。

滞空時間の長いヘディングや強力な左右のシュートを武器に幾多のゴールを挙げた。2008年のナビスコカップ決勝戦では大分に初タイトルをもたらすゴールを決め、大会MVPを獲得した。

大分トリニータでキャリアをスタートさせ、J1からJ3まで経験するなど、大分の歴史とともに駆け抜けたミスタートリニータ。

2006年、2007年には日本代表に選出され、国際Aマッチ2試合に出場した。

高松大樹のJリーグ入り前


高松は1981年に山口県宇部市に生まれた。

宇部市立岬小学校3年生の時に、先輩に誘われてサッカーを始めた。

宇部市立常盤中学校入学後、サッカー部に所属。
入学当時の身長は153センチ程であったが、1年生の時から3年生のゲームに出場するなど早くから頭角を現していく。

中学卒業後、地元の名門である多々良学園高校へ進学。
同学年に中山元気(サンフレッチェ広島)、1学年下に藤田泰成(名古屋グランパス)がいる。
高校進学後に、FWへポジションを変更。
高校1年次から3年連続で選手権と総体に出場。
2年次の選手権・山口県予選では岩政大樹のいる岩国高校と対戦しハットトリックを達成し、全国への切符を掴んだ。
3年次に出場した選手権では初戦で中田洋介のいる大船渡高校を破り、初めて2回戦へ進出するも平島崇、金明輝のいる初芝橋本に敗れている。
3年次に出場した高校総体では全国3位の成績を収めた。

高松は高校時代から得点能力の高さが注目され、高校3年次に中山元気とともにサンフレッチェ広島の強化指定選手になる。

高校卒業後、サンフレッチェには入団せずJ2の大分トリニータへ入団する。

高松大樹のJリーグ入り後

入団1年目の2000年5月13日第12節モンテディオ山形戦でベンチ入りをすると、後半11分に庄司孝と交代でピッチに入りJリーグデビューを飾る。
この年は5月21日第14節湘南ベルマーレ戦でJリーグ初ゴールをマーク。リーグ戦6試合に出場し1ゴールを挙げた。

入団2年目から出場機会を大きく伸ばす。7月21日第23節ヴァンフォーレ甲府戦ではベンチーニョとの息の合ったプレーで躍動し、ハットトリックを記録するなど活躍。
リーグ戦22試合で8ゴールを挙げるなど得点源として活躍した。

入団3年目から完全にレギュラーに定着。これまで縁のなかった年代別代表にも選出され、U-22日本代表として韓国遠征、香港・カタール遠征に参加した。
大分ではリーグ戦33試合に出場し、J2優勝とJ1昇格を果たした。

入団4年目の2003年シーズンは自身初めてのJ1での戦いとなったが開幕戦から活躍し、第3節ガンバ大阪戦ではJ1初ゴールを決めた。

2004年にはU-23日本代表としてアテネオリンピック日本代表に選出。
グループリーグで敗退するもイタリア戦でゴールをマークするなど存在感を見せた。

2006年にはキャリアハイとなるリーグ戦29試合で12ゴールをマーク。
この活躍を受け、同年にはイビチャ・オシム監督により日本代表に選出される。
アジア杯予選の11月15日サウジアラビア戦で我那覇和樹と交代で出場し、日本代表デビューを果たし3-1での勝利に貢献した。

2007年も引き続き代表に選出されると、同年8月22日キリンチャレンジカップ2007のカメルーン戦で前田遼一と交代でピッチに立った。
この年もリーグ戦30試合に出場し8ゴールをマークするなどエースとして大分を支えた。

2008年はキャプテンに就任するも、踵の負傷によりパフォーマンスが低下。
献身的な守備で貢献するもリーグ戦では得点を奪えなかった。
しかし同年のナビスコカップでは決勝の清水エスパルス戦で大分に初タイトルをもたらす値千金のゴールを奪い、大会MVPに選出された。

2009年は金崎夢生、家長昭博と強力なトライアングルを形成するも序盤からチームは失速。
ついにはJリーグ記録となる14連敗を喫し最下位に転落。その後はなんとか立て直すも、序盤の取りこぼしが響き、8シーズンぶりのJ2降格が決定した。
この年、大分の経営問題の悪化により移籍が噂されるも、高松はいち早く残留を表明した。

2010年は7シーズン振りとなるJ2でのシーズンとなったが、怪我の影響もあり3ゴールに留まる。
チームも年間順位15位に沈み、1年での昇格は果たせなかった。

2011年はJ2FC東京へ移籍。
しかしシーズン序盤に骨折をしたことが響き、リーグ戦5試合の出場で無得点に終わると1年で退団することになった。

2012年は大分へ復帰。
森島康仁の控えに回るも、途中出場で存在感を示し、リーグ戦32試合に出場し大分のJ1昇格に貢献した。

2013年はスタートから出場する機会が増えるも、チームは低迷。
Jリーグ史上初のシーズン中ホームゲーム未勝利という不名誉な記録を作ってしまい、1年でJ2降格となった。

2014年以降は主に控えに回り、スーパーサブとして活躍。
得点数は少ないながらも、ポストプレーや前線からの守備でチームに貢献した。
しかしチームは2015年、初めてのJ3降格となってしまう。

2016年は片野坂知宏監督のもとで開幕3連勝で最高のスタートを切る。
その後いったんは10位まで順位を下げるも、最終5節を5連勝で終えJ3リーグ優勝、1年でのJ2リーグ復帰を果たした。
高松は同年11月に現役引退を発表。ミスタートリニータの引退発表にチームは発奮し、シーズン終盤の快進撃に繋がった。

高松大樹の引退後と現在

高松は引退後、2017年より政治家に転身。
大分市議会議員として2度の当選を果たしている。

政治家となった高松は後年のインタビューで「大分に恩返しがしたい」と語っている。
大分で酸いも甘いも経験した高松にとって、大分の魅力を全国に発信して地元を盛り上げていきたいと思う気持ちは必然であろう。

高松はサッカー界ではなく、政治という新たな世界での戦いに挑戦しているが、大分トリニータにとって彼が特別な選手であるのに変わりはない。

現役時代、絶頂期に他の強豪クラブからオファーを受けた時も、怪我で苦しんだキャリア晩年も、決して大分を離れようとしなかったのはシンプルに大分が好きだからだったに違いない。

スパイクを脱いでもミスタートリニータはミスタートリニータだ。

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