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服部年宏の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第235回】

日本屈指の守備のスペシャリスト、服部年宏。

左サイドバックやボランチとしてプレーしジュビロ磐田の黄金期を支えた。

日本代表としても服部年宏の守備能力は高く評価され1998年、2002年のワールドカップに出場。代表戦通算44試合に出場を果たした。

守備だけでなく、パスの精度も非常に高く服部年宏の正確なラストパスから何度も決定機を演出した。

服部年宏のJリーグ入り前

服部年宏は1973年、静岡県清水市に生まれた。

静岡市立清水不二見小学校へ入学。後に地域の選抜チームである清水FCに所属。チームメイトには望月重良や伊東輝悦がおり全日本少年サッカー大会で全国優勝を経験する。

清水市立第四中学校を経て、東海大学第一高等学校に入学。1学年上に森島寛晃、1学年下には松原良香と伊東輝悦がいた。

高校卒業後、東海大学に進学。大学ではすぐにレギュラーとなり、2年時にはユニバーシアード代表に選出される。

その後、練習生として参加したジュビロ磐田から高い評価を受け、大学を中退してジュビロ磐田に入団する。

服部年宏のJリーグ入り後

1年目から左サイドバックとしてレギュラーを掴むとリーグ戦25試合に出場。正確なピンポイントクロスで攻撃を演出した。

入団3年目の1996年にはアトランタオリンピック日本代表に選出。キャプテンの前園真聖を支える副キャプテンを担った。

グループリーグのブラジル戦では1対1の強さとハードマークをかわれ、キーマンと目されていたジュニーニョ・パウリタをマンマークで抑え込む活躍をみせ、ブラジルから歴史的な勝利を挙げる。この活躍を受け服部は一躍注目を浴び、同年にはフル代表にも選出される。

1997年から続いたジュビロ磐田黄金期を支え、リーグ優勝、ナビスコ杯優勝、アジアクラブ選手権優勝など数多くのタイトル獲得に貢献。

1998年のフランスワールドカップ、2002年の日韓ワールドカップのメンバーにも選出。ボランチやサイドバックなど幅広いポジションをこなせるユーティリティ性と左足の正確さを高く評価され代表に定着するも、同タイプの中田浩二が起用された為に服部はレギュラー定着までには至らなかった。

しかし国内組だけで挑む際の代表戦では不動のレギュラーであり、攻守の要として活躍した。

2001年には自身初となるJリーグベストイレブンに選出。この年はキャリアハイとなるリーグ戦5得点を挙げた。

その後もジュビロの守備を支え中心選手としてチームを牽引するも2006年に長年プレーしたジュビロを離れる。同年に服部の他に名波浩、福西崇史もチームを去った。

2007年東京ヴェルディ1969へ移籍。

服部は出場停止1試合を除く47試合でスタメンフル出場を果たす。服部自身初めての移籍であったが、すぐにチームに馴染みセットプレイのキッカーも務めシーズン最多の15アシストを記録しJ1昇格に貢献した。

2008年には主将を任されたがチームはJ2に降格し、クラブ経営悪化の影響で退団が発表されていたが、ラモス瑠偉常務や高木琢也新監督の意向により再契約を結んだ。

2009年も主力として牽引するもこの年の9月にメインスポンサーの日テレとのスポンサー契約が終了。

このシーズンは胸スポンサーも入らないなどヴェルディは経営面でも苦しいシーズンとなった。監督の解任もあり成績も安定せず、1度も昇格争いに絡むことなく7位でシーズンを終え服部はチームを去ることになった。

2010年JFLのガイナーレ鳥取に移籍。

服部は移籍1年目から主将を務め、ガイナーレのJ2昇格・優勝に導く活躍を見せる。その功績によりリーグ年間MVPを獲得した。以降もチームの中心選手として活躍した。

2012年にはFC岐阜に移籍。主に中盤の底でプレーしリーグ戦42試合にフル出場を果たした。

2013年もリーグ戦35試合に出場。40歳までプレーした服部は惜しまれつつも現役を引退した。

服部年宏の引退後と現在

服部年宏は引退後、ジュビロ磐田のフロントに入り強化部長に就任。現在は強化本部長と静岡県サッカー協会の理事を務めた。

2023年には、福島ユナイテッドFCの監督に就任している。

ジュビロ磐田の黄金期において服部年宏の存在は必要不可欠だった。

守備では圧倒的な対人プレーの強さでボールを奪い、攻撃では長短のパスを正確に前線に供給する。名波浩、藤田俊哉、奥大介という攻撃力に優れたMFの後ろに服部がいた事でバランスが取れ、あの爆発的な強さを誇る事が出来たのだと感じる。

18年間という長いプロ生活を歩んだ服部年宏。ボランチや左サイドバック、センターバックなど所属したチームによって様々なポジションを経験したが、全チームでキャプテンを務めたほど統率力も優れた選手だった。

ジュビロを去った後も、東京ヴェルディのJ1昇格やガイナーレ鳥取のJ2昇格に大きく貢献した。20年間の現役生活で出場した試合は740試合にのぼる。豊富な経験とキャプテンシーをもった服部がチームに与えた功績はあまりにも大きい。

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