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影山雅永の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第375回】

マンツーマンに強いセンターバックとして、ジェフ市原で活躍したDF影山雅永。

学生時代は数多くの全国大会を経験。筑波大学時代は、後の日本代表となる中山雅史や井原正巳とともにプレーした。

現役引退後は、筑波大学の大学院を卒業し、指導者として活躍。ファジアーノ岡山の監督時代は無人島合宿を決行するなどユニークな指導で話題を呼んだ。

現在は日本の育成年代の最高責任者として活動する影山雅永に迫る。

影山雅永のJリーグ入り前


影山は1967年に福島県いわき市に生まれた。

小学校の時に3歳上の兄の影響でサッカーを始める。
いわき市立小名浜東小学校入学後、小名浜東少年団に所属し、全国大会を経験。
小学校5年生の時に滋賀県貴生川スポーツ少年団に所属する井原正巳(横浜マリノス)とも対戦している。

いわき市立小名浜第二中学校に進学後も全国大会を経験。卒業後に福島県立磐城高校に進学。
高校時代は、インターハイや選手権に出場。
高校3年次には選手権でベスト16入りに貢献。影山は日本高校サッカー選抜に選出された。

高校卒業後、筑波大学へ進学。
同級生には中山雅史(ジュビロ磐田)、井原正巳(横浜マリノス)、森山佳郎(サンフレッチェ広島)などがいた。
2学年上には長谷川健太(清水エスパルス)、田口禎則(浦和レッズ)がいる。

大学では、周囲のレベルの高さや怪我をしたこともあり、サブの時期が長く続いた。
一時期は選手を断念し、指導者の道に進むことを考えるも、JSLの古河電工(ジェフユナイテッド市原・千葉)から誘いを受け、選手生活を続行する。

その後大学を休学し、1990年に古河電工サッカー部に入団する。

古河電工では川本治監督の元で1年目から出場機会を得る。入団2年目にはリーグ戦21試合に出場した。

1992年、Jリーグ開幕の前年にジェフ市原とプロ契約を結んだ。

影山雅永のJリーグ入り後

1993年にJリーグが開幕、影山は開幕戦のサンフレッチェ広島戦からベンチ入りを続け、第3節ガンバ大阪戦で背番号5を背負い、センターバックとして出場。3-0での完封勝利に貢献した。

その後もボディコンタクトの強さを武器にレギュラーとして活躍。5月29日の第5節横浜マリノス戦では貴重なJリーグ初ゴールをマークし、5-0での大勝に貢献した。

この年のジェフは阪倉裕二宮澤ミッシェル宮沢浩、吉田暢、五十嵐和也などDFの選手層は厚かったが、リーグワースト2位の失点数の多さで年間順位8位に甘んじた。

1994年もリーグ戦25試合に出場するが、NICOSシリーズ終盤はベンチ外となる日々が続き、この年限りでジェフを退団。

1995年は浦和レッズに移籍するも、ホルガー・オジェック監督の元では出番を得られず、公式戦出場のないまま1年で退団した。

1996年はJFLのブランメル仙台(ベガルタ仙台)へ移籍。
この年のベガルタには、元ジェフの監督であった佐藤長栄監督が指揮を執ったこともあり、吉田暢、フランタ、越後和男リトバルスキーオッツェ、阪倉裕二、小屋禎などのジェフ出身の選手が多く在籍した。

仙台では主力として活躍するが、指導者の道へ進むため、1年で退団。現役を引退し筑波大学の大学院へ進んだ。

影山雅永の引退後と現在

影山は引退後、大学院に通う傍ら日本代表スタッフとして1998年ワールドカップのスカウティングを担当した。
その後も、日本サッカー協会スタッフとしてアジア各国に派遣され、マカオ代表監督やシンガポールU-16代表監督を務めた。

日本に戻ってからはファジアーノ岡山の監督やU-20日本代表監督を務め、2022年からはJFAユース育成ダイレクターとなっている。

影山は筑波大学大学院卒業後、ドイツの体育大学に留学するなど理論派として有名だが、指導方法や育成理論においては「体当たり」での指導も行っている。

ケルンに留学していた時は、片言のドイツ語で指導を始め、10代の選手たち相手に紅白戦では体を張って全力で当たりにいった。
そんな一生懸命な日本人の姿に、ヨーロッパの若い選手たちは次第に心を開いていった。
最初は相手にされなった影山だったが、選手からは「カゲ」と呼ばれ、慕われるようになっていったという。

また、ファジアーノ岡山の監督時代は、ユニークなキャンプを数多く企画。
サイクリング遍路やロッククライミングなどの地形や風土を生かしたトレーニングを行い、夜はテントで寝泊まりするキャンプを行った。

キャンプの場所も小豆島や無人島で行い、選手たちが自炊し、イカダを作って隣の島へ脱出するなど、これまでのサッカーのキャンプの概念を覆した。
その様子は地元のテレビやバラエティ番組に取り上げられ、大きな話題となった。

現在、影山はユース育成ダイレクターとして日本の育成年代の責任者として活動している。

サッカーの指導を行うということは、選手と向き合うということだと私は思う。選手と向き合い続ける影山雅永の姿勢は、若き指導者の模範となるべきだろう。

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