2002年。
日韓ワールドカップでのベルギー戦。
値千金の同点ゴールを決めて一気にブレイクした鈴木隆行。
銀色に染めた髪をなびかせ、雄叫びをあげるその姿から
鈴木隆行は「銀狼」とよばれた。
さすらいのFW、鈴木隆行に迫る。
鈴木隆行のプロ入り前
幼少期からサッカーが大好きだった鈴木だが、進んだ茨城県立日立工業高等学校にはサッカーを教えることができる指導者がいなかった。
鈴木は監督の代わりにチームの練習メニューを考えた。
鈴木は後年、この時代をこのように語っている。
「(鹿島加入まで)まともにサッカーを習ったことがなかった」
それでも鈴木は努力だけは惜しまなかった。
高校3年時には中田英寿らと共にカテゴリー別の日本代表にも選出され、全国区の選手となり、地元の鹿島アントラーズから声をかけられる。
鈴木隆行のプロ入り後
鹿島に入団した年は1年を通して1試合も出場できなかった。
2年目も年間を通じて1試合のみの出場。
3年目、鈴木は現状を打破すべくブラジルに渡る。
所属先はジーコが会長を務めるブラジル3部リーグのCFZ・ド・リオ。
鈴木は日本とは違って治安も環境も悪い状況で耐え、リーグ戦21試合に出場。
7得点の成績を挙げ、リオ州2部昇格に貢献した。
2部昇格を決めると仲間と泣きながら抱き合った。
日本に帰国後、鹿島に復帰した鈴木は背番号9を与えられ、ブラジルでの成長をみせるつもりだった。
しかし鹿島では出場機会が得られず、その年ジェフユナイテッド千葉へレンタル移籍。
ジェフでもリーグ戦の出場は7試合に留まり、無得点に終わる。
翌年の1999年には再びブラジルのCFZ・ド・リオに加入するも5試合出場で無得点。
1999年8月に鹿島に復帰するもリーグ戦出場は1試合のみ。無得点に終わった。
翌2000年に出場機会を求めて川崎フロンターレへ移籍するがここでもリーグ戦11試合の出場に留まり、得点をあげることができずに川崎をシーズン途中で去ることになる。
シーズン途中鹿島に復帰した鈴木は、ここから躍動する。
リーグ5試合で2得点、ナビスコ杯5試合で3得点、天皇杯5試合で2得点。
復帰後の15試合で7得点を挙げ、一気にレギュラーに定着。
鹿島の三冠達成に貢献した。
当時の鹿島は柳沢敦や平瀬智行、長谷川祥之など、FWは豊富な人材がいたが鈴木はそこで結果を残した。
その活躍が認められ、2001年、当時の日本代表監督であるフィリップ・トルシエ氏によって日本代表に初招集される。
その年に行われたコンフェデレーションズカップのカメルーン戦では2得点を挙げる結果を残し、マスコミなどからシンデレラボーイと呼ばれた。
2002年、日韓ワールドカップ日本代表のメンバーに選出。
同じチームの柳沢敦とツートップを形成した。
そして初戦のベルギー戦。
小野伸二の出したロングボールに鈴木は懸命に走った。
右足のつま先で合わせたボールはベルギーゴールに突き刺さる。
青く染まったスタンドが揺れ、鈴木が雄叫びをあげる。
この鈴木の得点は日本がW杯で初めての勝ち点1を得る貴重な同点ゴールとなった。
鈴木隆行の海外への移籍
鈴木はワールドカップでの活躍が対戦国のベルギーに認められ、ベルギー1部リーグのヘンクに期限付き移籍をした。
しかしセンターフォワードではなく右サイドのウィング的ポジションで起用されることがほとんどだった。
その1年後、鹿島に復帰し再びベルギー1部のゾルダーへ移籍。
その後、鈴木は国内外問わず様々なチームを渡り歩く。
セルビア・モンテネグロのレッドスター、横浜Fマリノス、アメリカのポートランド、水戸ホーリーホック。
そして2015年にJ2のジェフユナイテッド千葉へ移籍。
このシーズンは2試合のみの出場に留まり、鈴木は引退を決意する。
鈴木は引退に際してこのように語っている。
「今までどんな状況でも辞めたくないなと思っていたけど、10月にふと辞めようと決断しました。次に進みたいという気持ちが強くなって、プレーしたい気持ちを超えたのだと思う」
鈴木隆行38歳での引退だった。
鈴木隆行の引退後と現在
鈴木隆行の引退試合にはともにクラブや代表で戦った多くの選手が集まった。
鹿島でともに戦った、小笠原満男や曽ケ端準、中田浩二や本山雅志や柳沢敦。
日本代表でともに世界を相手にした中村俊輔や中山雅史、名波浩、三浦淳宏、中澤佑二、楢崎正剛など本当に多くの仲間たちが集まった。
鈴木は引退試合で涙を流し、今まで所属したクラブのひとつひとつの名前をあげて感謝の言葉を伝えた。
その数は5か国で10チームに及ぶ。
正直にいって、鈴木は記録だけみると大きな功績は残せなかったのかもしれない。
しかし鈴木は衝撃的なベルギー戦のゴールを含め、熱い魂をピッチで見せ続けた。
試合に出れなくても、得点を決めれなくても。
38歳まで鈴木隆行はピッチで戦い続けた。
鈴木は引退後、指導者の道を歩み始め、少年サッカーの指導にあたっている。 今後のビジョンについて鈴木はこのように語っている。
「まずは経験を積むこと。その後は段階的にプロチームで指導ができたらと考えています。カテゴリーや国は一切問いませんが、プロの指導者として覚悟を持ってできる環境で、自分を鍛えたいという思いがある。」
鈴木はどこまでもストイックに自分を追い込み、これからも答えを探し続ける。