GK

塩田仁史の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第481回】

これといった欠点の見当たらない完成度の高いGK塩田仁史。

大学屈指のGKとしてFC東京に入団。入団1年目にヤマザキナビスコカップの優勝に貢献した。

的確なコーチングと正確なセービングを武器に40歳まで現役を続けた。

塩田仁史のJリーグ入り前


塩田は1981年に茨城県日立市に生まれた。

日立市立田尻小学校2年生の時にサッカーを始める。

運動能力が高く、当時のポジションはFWだった。
日立サッカー少年団に入団し、小学校6年生の時に出場した全日本少年サッカー大会でGKを担い、全国ベスト16入りを果たす。
塩田はこの活躍もあり関東選抜に選出された。

日立市立滑川中学校進学後、サッカー部に所属。
中学ではチームのレベルは高くなかったがナショナルトレセンに選出される。
中学1年生の新人戦では市の大会で1回戦負けだったが、3年生の最後の大会では県ベスト8進出を果たした。

水戸短期大学附属高等学校に進学後に本格的にGKに転向。
選手権には1年次に出場するも、ベンチ入りは出来なかった。
2年、3年次は県予選で敗退している。
高校2年次から2年連続で茨城県選抜に選出され野沢拓也、根本裕一らとともに国体に出場した。

高校卒業後、流通経済大学へ進学。
同学年に池田昌広(湘南ベルマーレ)、1学年下に杉本恵太(名古屋グランパス)、中島俊一(名古屋グランパス)、1学年上に阿部吉朗(FC東京)らがいる。

大学1年次から正GKとして活躍し、この年から関東大学選抜に選出される。
大学4年次には関東大学サッカーリーグで1部昇格に貢献。塩田は全日本大学選抜に選出され、ユニバーシアード日本代表の正GKとして韓国大会に出。
準々決勝の中国戦ではPK戦に突入するも、3人目と4人目をストップし勝利に貢献。決勝のイタリア戦でも好守備を見せ、優勝に貢献した。
この時のメンバーには戸川健太(明治大学)、岩政大樹(東京学芸大学)、中後雅喜(駒澤大学)、田代有三(福岡大学)、山崎雅人(国士舘大学)、中田洋介(駒澤大学)、兵働昭弘(筑波大学)などがいる。

大学卒業後、複数のオファーを受ける中、FC東京へ入団する。

塩田仁史のJリーグ入り後


2004年に鳴り物入りでFC東京に入団した塩田だったが、日本代表の土肥洋一がいたため入団後2年間はリーグ戦への出場機会はなかった。
しかしナビスコカップでは正GKとして活躍し、加入初年度に8試合に出場しタイトル獲得に貢献。2年目のカップ戦は6試合に出場する。

2006年11月26日、シーズン終盤の第33節浦和レッズ戦でJリーグデビューを果たす。
翌最終節の大分トリニータ戦でもゴールを守り、1-0でのクリーンシートに貢献した。

2007年は第5節アルビレックス新潟線からレギュラーに抜擢される。
その後は土肥洋一と熾烈なポジション争いを演じるが、この年はリーグ戦20試合に出場した。

2008年は土肥洋一が東京ヴェルディへ移籍したため、開幕戦から起用される。
この年から背番号1に変更しリーグ戦全試合フル出場を果たした。

2009年は病気のために出遅れてしまい、開幕戦には権田修一が起用される。
その後に塩田は復帰を果たすも、リーグ戦はすべて権田が起用された。

その後も権田修一の控えとしてベンチを温める日々が続くも、2011年に権田がロンドン五輪予選で不在の際には正GKとしてチームを支えた。
また、2013年の天皇杯では正GKとして起用され、好セーブを連発してベスト4入りに貢献した。

2015年はJ2大宮アルディージャへ移籍。
同時期に浦和レッズから加入した加藤順大とともに正GKの座を争うことになった。
同年9月23日第33節東京ヴェルディ戦で大宮でのデビューを果たし1-0での勝利に貢献。
その後も起用されるが、第36節ロアッソ熊本戦、第37節徳島ヴォルティス戦と連敗し、再び加藤が起用されるようになった。
同年、大宮はJ2での優勝を果たし、J1へ昇格。塩田にとっては2度目のJ2優勝となった。

加藤順大とはその後もポジション争いが続く。
2018年には加藤順大が京都サンガへ移籍するも、入れ替わりで水戸から加入した笠原昂史とまたもやポジション争いを演じることになった。
2019年はリーグ戦5試合の出場に留まり、この年をもって5年間在籍した大宮を退団。

2020年は栃木SCへ移籍。
当初は川田修平がゴールマウスを守るも、新型コロナウィルスによる中断から再開後はレギュラーとして活躍。
しかし7月に右尺骨亀裂骨折で離脱。シーズン終盤に復帰を果たすもリーグ戦の出場は12試合に留まった。

2021年は浦和レッズへ移籍。
西川周作の控えとなり、出場はなかったが経験豊富なベテランとしてチームを支えた。
同年シーズン終了後、40歳で現役を引退。

塩田仁史の引退後と現在

塩田は引退後、2022年から浦和レッズのGKアシスタントコーチに就任している。

塩田は18年間のプロ生活でJ1リーグ91試合、J2では50試合に出場した。
かつて大学ナンバーワンGKと言われた男の記録としてはいささか寂しい気もする。

しかし、練習から真摯に取り組む姿勢は若手時代から40歳で現役を終えるまで変わることはなかった。
誰よりも大きな声でコーチングをし、良いプレーをした選手には、自ら大きな声を出して褒めることを忘れない。それがたとえライバルであろうと。
チームが苦しい時は声を張り上げて鼓舞し、全力で支え続けた。

FC東京では現役日本代表の土肥洋一が立ちはだかり、土肥が移籍後にようやくチャンスを掴みかけたときには後の日本代表となる権田修一が突き上げてきた。
大宮では加藤順大と熾烈なポジション争いを演じ、栃木で正GKとなるも骨折をして離脱する不運も経験した。

それでもチームに必要とされ続け、40歳まで現役でいたのは塩田のGKとしての能力が高いだけでなく、人間性によるものも大きいと個人的に思う。
浦和では西川周作の控えに回り、ついにはプロ入り後初となる公式戦出場無しに終わるも、腐らずに常にチームの為に戦った男の存在価値は計り知れなかった。

現役引退時、塩田は同年に浦和を去る槙野智章、宇賀神友弥、阿部勇樹の去り際を邪魔したくないという理由で、最終戦が終わってからシーズン終了後にひっそりと現役引退を発表した塩田仁史。

最後の最後までチームの事を一番に考えた男は、今度は裏方として誰よりも熱くチームを支え続ける。

選手一覧