絶妙なタイミングでの裏への抜け出しと瞬発的なスピードを兼ねそろえたストライカー坂田大輔。
2003年にはFIFAワールドユース選手権で得点王のタイトルを獲得。この記録は日本人として初めてとなるFIFA主催の世界大会での得点王となる快挙だった。
2006年にはフル代表に選出され、トリニダード・トバゴ戦で初キャップを記録。
2010年には海外移籍を実現し、ギリシャ1部のアリス・テッサロニキで1シーズンプレーした。
坂田大輔のJリーグ入り前
幼稚園の時に初めてボールを蹴り、横浜市立野庭東小学校入学後に地元の港南区にある野庭キッカーズに入団してサッカーを学ぶ。
横浜市立野庭中学校に入学後は横浜フリューゲルスジュニアユースに所属した。
神奈川県立永谷高等学校進学後は横浜フリューゲルスユースに昇格するが、高校1年生の時にフリューゲルスの消滅に伴い、マリノスユースに転籍した。
同期には田中隼磨、鈴木達也(柏レイソル)、金子勇樹などがいる。
マリノスユース時代から快速を生かしたFWとしてプレー。
高校3年次には背番号11を背負い、チームの得点源として活躍し、3年次のクラブユース選手権では決勝で京都パープルサンガユースを2-0で破り優勝。坂田は大会MVPに輝いた。
また同年にU-18ユース代表に選出されるなど世代屈指のFWとして注目を集めた。
高校卒業後の2001年に横浜Fマリノスに入団する。
同期には田原豊、本橋卓巳、金子勇樹、田中隼磨、小原章吾、數馬正浩、後藤大輔、飯田紘孝がいる。
坂田大輔のJリーグ入り後
入団1年目の2001年6月16日1stステージ第11節FC東京戦で外池大亮と交代でJリーグデビューを飾った。
同年の8月18日の2ndステージ第2節柏レイソル戦では城彰二と2トップを組み、先発出場。後半23分に中村俊輔のパスを流し込み、Jリーグ初ゴールをマークし1-0での勝利に貢献した。
第12節鹿島アントラーズ戦でもゴールを決め、この年はリーグ戦11試合で2ゴールをマークした。
2002年は同じ俊足が持ち味の清水範久や元日本代表の平瀬智行、2001年のJ1得点王のウィルが加入する中で、スーパーサブとして地位を確立。
得点は1stステージ第11節の柏レイソル戦でのVゴールのみに留まったが、前年を上回るリーグ戦19試合に出場した。
同年にはU-19日本代表としてAFCユース選手権に出場し準優勝を果たし、翌年のFIFAワールドユース選手権の出場資格を得た。
2003年はU-20日本代表として背番号10を背負い、FIFAワールドユースに出場。
開幕戦から2試合連続でゴールを決めるなど活躍し、準々決勝の韓国戦では途中出場から同点ゴールと逆転ゴールを決め、勝利に貢献。
日本はベスト4で敗退するが、坂田は大会通算4ゴールで日本人初となるFIFA主催の世界大会での得点王となった。
マリノスでも2003年に久保竜彦とのコンビで活躍。リーグ戦6ゴールをマークし、マリノスの完全優勝に貢献。
翌年にも安貞桓や清水範久と息の合ったプレーを見せ、10ゴールをマーク。
浦和レッズと対戦したチャンピオンシップでは2戦ともフル出場。2戦目はPK戦に突入するも3人目のキッカーとして見事にゴールを決め、マリノスの2連覇の立役者となった。
2005年はシーズン前に左ひざを負傷するも、4月16日の第6節ガンバ大阪戦から復帰。
前年にJ2山形で22ゴールを決めた大島秀夫やジュビロ磐田からブラジル人FWグラウが加入し、苦しいシーズンとなったがリーグ戦29試合に出場し5ゴールを決めた。
2006年8月にはオシム日本代表監督により、走力と前線からの献身的な守備が評価され日本代表に初招集。
キリンチャレンジカップのトリニダード・トバゴ戦の後半41分に三都主アレサンドロと交代で出場し初キャップを記録した。
2007年にはリーグ戦全試合に出場し自身2度目となるシーズン10ゴールを決める。
しかし2008年以降は得点数が減少し、2010年には松田直樹、清水範久、河合竜二、山瀬功治らとともに契約非更新で退団することになった。
このマリノスを長年支えてきた選手たちが次々と来季の契約非更新を伝えられてクラブを去ることになった事態は大きな波紋を呼んだ。
2011年1月、28歳になった坂田は初の海外移籍を実現。
移籍先はギリシャ1部リーグのアリス・テッサロニキだった。
サイドハーフでの起用が多かったが半年間の所属でリーグ戦6試合に出場。
ヨーロッパリーグではグループリーグを突破し、ベスト16入りをかけたマンチェスターシティ戦にも出場した。
帰国後は2011年8月にJ2FC東京へ移籍。
リーグ戦10試合に出場し1ゴールを決め、J1昇格に貢献した。
2012年にはJ2へ降格したアビスパ福岡へ移籍。
2011年にJ1で得点数がリーグワースト2位だった攻撃陣のテコ入れとして期待された。
開幕戦のロアッソ熊本戦でチームのシーズン初ゴールをマークし、2-1での勝利に貢献。
その後も主軸として活躍しリーグ戦40試合で8ゴールを決めた。
2013年には背番号を慣れ親しんだ11に変える。
キャリアハイとなるリーグ戦11ゴールを決め、一時はJ1昇格プレーオフ圏内の6位まで順位を上げるも、その後に低迷しJ1昇格は果たせなかった。
2015年にはスーパーサブとして活躍。
11月にはJリーグ通算400試合出場を達成。
ヴィファーレン長崎、セレッソ大阪とのプレーオフでは2試合とも途中出場しアビスパのJ1昇格に貢献した。
2016年には自身6年ぶりとなるJ1での戦いとなったが、苦戦が続き、アビスパは年間で4勝しか挙げられず1年でJ2へ降格となった。
2017年、リーグ戦31試合に出場するもこの年をもってアビスパを退団。
チームを探し、現役生活を続ける意向を見せたが、所属先が決まらず同年3月15日に引退を発表。17年間の現役生活に別れを告げた。
坂田大輔の引退後と現在
坂田は引退後、2018年にプロ選手のマネージメント業務やエージェント業務などを手掛ける株式会社スポーツコンサルティングジャパンに入社。
日本サッカー協会登録の仲介人として活躍している。