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岩下潤の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第459回】

ペナルティエリア内で決定的な仕事をするストライカー岩下潤。

1992年に清水エスパルスに入団すると1993年のJリーグカップでは得点王ビスマルクの6得点に次ぐ5得点をマークし、若手ながら決定力の高さを見せた。

創成期の清水エスパルスで活躍後、ヴィッセル神戸、ジヤトコでプレー。

引退後は清水エスパルスユースの監督して活躍している。

岩下潤のJリーグ入り前


岩下は1973年に静岡県に生まれた。

小学校の時にサッカーを始め、東海大一中学校へ進学しサッカー部で活躍。
中学2年次から2年連続でジュアユース代表に選出された。

中学校卒業後、強豪の東海大学第一高校へ進学。
同学年に小島卓(柏レイソル)、服部年宏(ジュビロ磐田)、1学年上に森島寛晃(セレッソ大阪)、1学年下に伊東輝悦(清水エスパルス)、松原良香(ジュビロ磐田)、白井博幸(清水エスパルス)がいる。

高校2年次からレギュラーとして活躍。
同年、静岡県選抜に選出され、国体に出場し3位に入った。

3年次には背番号9を背負い、チームのエースとして活躍。
インターハイでは清水東と対戦しゴールを決めるも延長戦の末に敗れている。
また同年の国体にも出場し、優勝を飾っている。
3年次の選手権では静岡県予選の準決勝で、望月重良や西ヶ谷隆之のいる清水商業と対戦し0-2で敗れている。

高校卒業後の1992年、地元の清水エスパルスへ入団する。同期入団に朝倉徳明、澤登正朗がいる。

岩下潤のJリーグ入り後

1993年のJリーグ開幕後、サントリーシリーズは出場機会がなかったが、NICOSシリーズより出場機会を得ると、1993年12月8日NICOSシリーズ第17節ガンバ大阪戦で長谷川健太と2トップを組み、先発出場し前半28分にJリーグ初ゴールをマーク。
この年はリーグ戦5試合に出場し1ゴールを決めた。

同年のヤマザキナビスコカップでは横浜マリノス戦や浦和レッズ戦で2ゴールずつ決め、4試合で5ゴールを奪う活躍を見せ、清水の決勝進出に貢献。
決勝のヴェルディ川崎戦でも先発したが、ゴールは奪えず惜しくも準優勝となった。

1994年、元日本代表の永島昭浩、後のブラジル代表となるジャウミーニャが加入し、ポジション争いが激化するもコンスタントに出場機会を得る。
この年は途中出場が多かったが、リーグ戦24試合で4ゴールを決める勝負強さを見せた。

1995年は元イタリア代表のマッサーロや元ブラジル代表のジアスが加入したことで出場機会が激減。
出場機会はリーグ戦7試合に留まり、この年限りで清水エスパルスを退団した。

1996年はJFLのヴィッセル神戸へ移籍。
FWにはチュニジア代表のジアードや元日本代表の永島昭浩神野卓哉らがいたため、出場機会は少なく、1997年は古巣のエスパルス戦に途中出場したのみで1試合の出場に留まった。
1998年はリーグ戦で3試合にベンチ入りしたのみで出場機会はなくこのシーズンで退団。

1999年はJFLのジヤトコサッカー部へ移籍。背番号8を背負った。
新村泰彦松橋力蔵とともにチームを牽引し加入年度はリーグ戦23試合に出場し5ゴールを決めた。

2001年も13試合で5ゴールを奪う活躍を見せる。
28歳という年齢もあり、現役続行をする意向であったが清水エスパルスから指導者としての誘いがあったため、現役を引退した。

岩下潤の引退後と現在

岩下は引退後、2002年から清水エスパルスの下部組織の指導者に転身。

2016年には清水エスパルスU-15監督として、史上2クラブ目となる中学年代での3冠を達成した。

その後もジュニアユースの監督やユースコーチを経て、2020年からエスパルスユースの監督に就任している。

これまで、指導した選手は北川航也、立田悠悟、川本梨誉などがいる。

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