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米澤剛志の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第457回】

身長186センチ80キロの恵まれた体格を生かし、対人プレーで強さを発揮したDF米澤剛志。

DFながら得点能力も高く、1994年にはリーグ戦で3戦連発となるゴールを決める活躍を見せた。

ジュビロ磐田で活躍後、ガンバ大阪、JFLの大分トリニティでプレー。

引退後は高校サッカー部の監督となり、2018年には就任1年目ながら岐阜工業高等学校を26年ぶりに選手権へ導く手腕を発揮した。

米澤剛志のJリーグ入り前


米澤は1969年に大阪府に生まれた。

小学校時代にサッカーを始め、吹田市立南千里中学校に進学。
サッカー部で活躍し、3年次には全国大会でチームを3位に導く活躍を見せた。

卒業後は強豪である北陽高等学校へ進学。
1学年下に佐藤慶明(ガンバ大阪)、3学年下に山口敏弘(ガンバ大阪)がいる。

米澤は高校1年次よりレギュラーとして活躍。
1年次に出場した選手権ではベスト8入りに貢献。準決勝進出をかけ、岩井厚裕のいる帝京高校と対戦するが、0-2で敗れている。
2年次にも選手権に出場するが、またしても帝京に初戦でPK戦の末に敗れた。

米澤は高校1年次からユース体表に選出され、古賀琢磨磯貝洋光菊原志郎らとともにアジアJrユース選手権に出場した。

高校卒業後、大阪体育大学へ進学。
同学年に河原忠明(アビスパ福岡)、1学年下に桂秀樹(横浜フリューゲルス)らがいる。
大学時代は関西学生サッカーリーグ1部で優勝を経験した。

大学卒業後、ヤマハ発動機サッカー部(ジュビロ磐田)に入団する。1年先輩に中山雅史がいる。
長沢和明監督のもとで、入団2年目から出場機会を掴み、1993年にはJFLで準優勝を果たし、フジタ(湘南ベルマーレ)とともに翌年のJリーグ入りを達成した。

米澤剛志のJリーグ入り後

1994年4月27日サントリーシリーズ第12節名古屋グランパスエイト戦でセンターバックとしてJリーグ初出場。
この試合は0-1で敗れるも、安定したプレーを見せた米澤はこの試合以降レギュラーに定着。
6月1日第18節浦和レッズ戦では試合終了間際にJ初ゴールをマーク。この得点が決勝点となり、1-0でのクリーンシートでの勝利の立役者となった。

同年のNICOSシリーズ序盤は怪我で出遅れるも、シーズン中盤に復帰。
第12節名古屋グランパスエイト戦でゴールを決めると、続く第13節ヴェルディ川崎戦ではVゴールを決めて勝利に貢献。
さらに第14節ガンバ大阪戦でもゴールを決め、DFながら3戦連発となる得点を決め、能力の高さを見せた。
このシーズンはリーグ戦16試合で4ゴールを決めている。

1995年は昨年までコンビを組んでいた身長193センチのオランダ人DFアンドレ・パウスの控えに回ることが多くなったが、コンスタントに出場。
3月29日第4節セレッソ大阪戦では途中出場から得点を決め、4-3での打ち合いを制した。
このシーズンはリーグ戦19試合に出場し1ゴールを決めた。

1996年は地元のガンバ大阪へ移籍。
しかしベンチ入りもままならず出場機会はなく1年で退団。

1997年はJFLの大分トリニティ(大分トリニータ)へ移籍。
朴景和監督のもとで1年間プレーするも、1年限りで退団。
腰痛の影響もありこの年限りで現役を引退した。

米澤剛志の引退後と現在

米澤は引退後、教員となり、岐阜県内の高校に勤務。

2018年からは岐阜県立岐阜工業高等学校で体育教諭とサッカー部の監督を担っている。
同年には同校を4年ぶり26回目の選手権出場へ導いている。

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